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チョコレートを噛むべきか舐めるべきか

 夫がチョコレートを食べている。
 箱から一粒取り出し、口に入れ、唇をすぼめて動かしている。歯を使っている様子はない。

 夫はチョコレートを、飴のように舐めながら食べているのだ。

 まるで合わない入れ歯に苦慮しているおじいちゃんのように、もにょもにょもにょもにょ口を動かしている。

 大事に食べているといえば聞こえはいいのだが、見ている方としては、どうもじれったい。
「もうひとつどう?」
 私が箱を差し出しても、
「まだ、食べてる」
 夫はもにょもにょを続けている。

 噛むのと舐めるのとでは、食べる速度に大きな差がある。夫がのんびりもにょもにょしているうちに、私の取り分は減り続け、夫の分のチョコレートは箱の中にいつまでも居座り続ける。

 自分の分を食べきってしまった私は、チョコレートが目の前にあるのに、手が出せない。そんな、有るのに無い状態に突入する。この「有るのに無い」状態というのは、食いしん坊の精神状態を不安定にするものだ。

 だったら私も夫にならい、ゆっくり舐めるようにチョコレートを味わえばいいのだが、それだと、どうも食べた気がしない。

 チョコレートをかじったときのあのパキパキとした歯触りは何とも気持ちいい。噛み砕いたチョコレートは、口の温度で緩んで一体となり、まったり溶けて舌の上に広がる。すると、すかさずカカオの香りが鼻を抜け、気づけばもう、口の中のチョコレートは夢のように消えているのである。

 何とも儚いが、この儚さがチョコレートを食べる醍醐味でもある。

 チョコレートを舐めながら食べると、食感を楽しめないし、何だかもったいない気がしてしまう。だが、夫からすれば、私の食べ方は、無闇矢鱈にバリバリ噛んで、味わってないように見えるらしい。

 チョコレートの専門の菓子職人のことをショコラティエという。
 バレンタインデーの時期になると、海外から著名なショコラティエが来日し、有名デパートに集結するそうだ。


 そんなショコラティエの皆さんは、自分が作った渾身の作品を、どのように食べてほしいのだろう。夫と私、どちらの食べ方が喜ばれるのか。全店舗巡って訊き回ってみたい。

 しかし、ショコラティエの皆さんは大変な人気者で、店頭に立つと、サインを求められたり、写真をお願いされたりすることも多いそうだ。 
 チョコレート愛好家の方にとってみれば、名店のショコラティエを目の前にすることは、ハリウッドスターが来日するのに近い、華やかな喜びがあるのだろう。

 そんなところに、どこの馬の骨ともわからぬ私のような人間が、のしのし出て行って、

「あのー、チョコレートって噛んで食べるのと、舐めて食べるの、どっちがいいんですかね?」

 なんて訊こうものなら、周囲から白い目で見られ、スタッフにつまみ出されてしまうかもしれない。いくら年齢とともに厚かましさが増しているとはいえ、私もそこまで腹をくくれない。

 どちらにせよ、食べ方は個人の自由だ。

 それでも、作り手からすれば、こうやって食べてもらえたら嬉しい。そういう思いがあるのではないだろうか。

 チョコレートを噛むべきか、舐めるべきか。

 そんなハムレットさながらの問題を抱えつつ、私はバレンタインデーの今日も、パキパキ噛んでチョコレートを食べている。

 

 


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