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本と言葉

私はnoteの記事を書くのに相当な時間がかかる。過去の出来事を思い出し、そのときに感じたものを表現しようとしても、上手く言葉が出てこなくて固まってしまう。そして時間ばかりが過ぎていく。

ブログを書いている友人にこんなことを聞いてみた。
「記事を書くのに、どのくらいの時間がかかるの?」
すると友人は、
「次の予定までの待ち時間に車の中でさっと書けるよ。大体20分くらいかな。」
と教えてくれた。

友人が書くブログの文章には流れがあって、とても読みやすいうえに読み応えもある。あの記事を数十分で書き上げてしまうなんて、やっぱり賢い人なんだなと思った。

私は小学生の頃から作文は苦手。原稿用紙を文字で埋めることに必死になっていた。国語の問題でも「次の文章を100文字以内で要約しなさい」なんて出てきたら、気持ちがげんなりしてしまうくらいだった。

「次のひらがなを漢字にしなさい」といった、漢字・ひらがな問題なら覚えていれば答えられるので、それほど気を張ることはなかった。

算数や数学は、覚えた公式を引き出して組み合わしていけば答えが出るので、私にとってそれはパズルを解いているようで楽しく面白かった。正解だったときには、まことに爽快な気分だった。

私が子どもの頃に読んでいた本は何だっただろうと考えると、数冊しか思い出せない。恐竜図鑑、昆虫図鑑、犬図鑑、まんが日本の歴史の1巻などを好んで読んでいた記憶がある。文章を読むというよりは、絵を見て楽しんでいたのだと思う。

絵本だったら「ノンタン」の表紙の絵ぐらいしか思い出せない。どんな話だったのか全く覚えていない。幼いころ絵本にあまり馴染みがなかったため、娘が産まれても私から娘に絵本の読み聞かせをしてあげることはほとんどなかった。絵本をプレゼントしてもらっても、娘が見たいときに見れば良いかなくらいに思っていた。


私は3年ほど前から、絵本の読み聞かせのボランティアをしている。好きな絵本はなんですか?と聞かれても答えられないこの私が。
ボランティアをすることになったきっかけは、仕事を辞め時間に余裕ができた私を、17歳年上の大好きな先輩が誘ってくれたから。

保健センターで3ヶ月児検診を受けたあとの赤ちゃんに、市から絵本のプレゼントをするボランティアで、赤ちゃんとお母さんに読み聞かせをして差し上げるというもの。

最初のうちは絵本を読むことに必死になっていたが、回を重ねていくうちに、赤ちゃんの反応に気付いた。赤ちゃんは絵本のページをめくるごとに、色とりどりのチョウやさかなやぞうの絵を目で追っているのだ。

絵に添えられた文章を抑揚つけて赤ちゃんに語りかけると、「あー」や「うー」と声を出したり、笑ったりして応えてくれるのだ。その反応を見ているとこちらまで嬉しくなってくる。

生後3ヶ月の赤ちゃんを見て私は
「あー、気付くのが遅かった・・・。」
と思った。それは、娘が幼いときに絵本の読み聞かせをしなかったことを懺悔するような気持ちだった。

あの小さな絵本のなかには、たくさんの色があり、景色があり、さまざまな動植物がいて、そして優しい言葉がたくさんある。それらをお父さんお母さんに抱っこされ、優しい声を通して赤ちゃんに伝えられる。赤ちゃんだけでなく、親にとっても最高の時間ではないか。


そんな時間を私は蔑ろにしてきてしまった。しかし、あの頃は未満児の娘を保育園に預け仕事をし、気持ち的にも時間的にも余裕がなかったし、まだ文字もわからない赤ちゃんが、こんなにも絵本に興味を示すとは思わなかった。

ボランティアをしていると、もうすでに赤ちゃんに絵本の読み聞かせをしている親御さんがいたり、検診日に合わせて休みを取り一緒に来館されるお父さんがいたりして感心させられる。

赤ちゃんの頃から絵本の読み聞かせが推奨されているわけを、このボランティアに参加することでやっと実感することができた。

とはいえ、娘は本が大好きである。絵本の読み聞かせを数えるほどしかしてもらえなかった子が、こんなにも本が好きなのは不思議。本人にも理由を聞いてみたが、
「読み聞かせをしてもらったから本が好きになるってわけじゃないんじゃない?私はただ、小説や漫画が好きなだけだよ。」
と言った。私は拍子抜けしたのと同時に、懺悔する気持ちが少し軽くなった。

本を読むことが好きな娘の話はとてもわかりやすい。言葉もたくさん知っているし、話のなかに喩えを入れてくるので聞いているこちらもとても理解しやすい。

また、娘が国語の教科書を深く読んでいることもわかる。なぜなら、私がモヤモヤしていることを娘に相談したときに
「国語の教科書にこんなことが書いてあってね。」
と言って参考になりそうなことを引っ張り出して話してくれる。現代の教科書と、私の時代の教科書の内容が違うの?と思ってしまうけれど、学生時代の私は国語に苦手意識を持っていたため、端から読むことを諦めていたのかもしれない。

そして娘は私に小説を読むことを勧めてくれる。
「小説っていろんな言葉が使われてて、自分の気持ちを表わしたいときに結構参考になるよ。○○の方法とか○○の仕方みたいな本も良いけれど、小説は本当に面白いし、読んでいるうちにモヤモヤした気持ちも紛れるよ!」

自分用の本棚には絵本が3冊ある。これらは読み聞かせのボランティアをするようになってから自分で買った絵本。そのうちの2冊は犬好きな私なのに、なぜか猫が主役の絵本を手に取った。

コンタクトレンズショップの待合椅子の隣に置いてあった「100万回生きたねこ」は、読んだ後に自分でも欲しいと思った。本屋さんで目に留まった「なまえのないねこ」は、表紙に載っている、なにかを見つめる猫の目が気になって購入した。

せっかく手元にあるんだから、また手に取って声に出しながら読んでみよう。

小説に関してはたくさん読んできたとは言えないし、人気小説を手に取っても途中で読まなくなってしまった本もある。しかし読んできた小説のなかには、頭の雑音が消えてしまうくらいのめり込んで読んだ小説があった。私でもそんな小説に出会うことができたときは嬉しい。

手っ取り早く答えを見つけ出す読書ではなく、物語の世界に自分も混ざり、心の動きを楽しみ、読み終わった後もしばらく余韻に浸っていられるような読書時間を持とう。


そうしているうちにいつか、自分がnoteを書くときに表現したい言葉が出てくるかもしれない。タンスの引き出しからそっと取り出すように、もしくは木の葉がひらひらと落ちてくるように。



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