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さようなら、お父さん。

先日、母から不思議な話を聞いた。

1年半前に父が他界してから、なんやかんやあったけれど一周忌も終え、家族一人ひとりが父のことを受け止めて、それぞれの家で日常を取り戻しつつある今日。

母だけが、取り残されたように、父のいなくなった家に一人で住んでいる。
今まで一度も、一人で生活したことのない母。
70歳を超えて人生初めての一人暮らしを経験している。

私たち家族は、ある意味とても変わった家族で、
何か大事件が起こってもあまり動じることはなく、皆、冷静に状況を判断し、自分のできることだけをする。必要以上に干渉しあわないので、冷たい、と思われるかもしれないが、言葉も交わさずに絶妙なチームプレイができるのは、あなたなら大丈夫だろう、と心から信頼しているからだ。

ただ、やはりそんな中でも、母の一人暮らしは少しだけ心配で、
というのも、父が居なくなってから、母の様子がすっかり変わってしまったからだ。
あんなに好奇心の塊で、自由奔放で、家にじっとしているのが苦行だった人が、どこにも行きたくない、ずっと家に居たい。。。と。
あれから思考停止しているのか、会話もループするし、病院で検査をしてもらったほうがいいのでは?と、
皆、心配するあまり、兄弟それぞれの考え方が衝突し、あまり経験がない口論をしてしまったほどだ。
母を大事に思う気持ちは一緒。
どの主張も間違いではなく、どれも正しい。


東日本大震災をもろに経験した父と母は、
これからは好きなように人生を生きていこうと話し合い、同じ屋根の下、ルームシェアのように各自独立していた夫婦関係。
生活費も折半し、食事も洗濯も掃除も、すべてそれぞれに。
だから、実家の冷蔵庫の2段目は父のもので、3段目は母のもの。納豆のパックがそれぞれに入っているという状態。
価値観が全く違う父と母。よくもまあ、一緒に生活できたものだ。
いつも、絶対に交差しないレールのような二人だった。

「だったらもう離婚すればいいじゃない」
二人に、何度も口にしてしまったことがある。
私の結婚観がちょっと変わっているのは、あの両親を見て育ったことも要因の一つだと思う。

自分のことを語らなかった父の代わりに、
父の遺品たちが、その心の内を饒舌に語ってくれていた。
机の引き出しの一番下に大事に保管されていたのは、母との結婚式の誓約書や写真、招待状、席次表など、その時の思い出の品々だった。
そして、父が生前使っていたスマホのカレンダーの、結婚記念日の日付には、
「金婚式」と入力されていた。「おめでとう!」を表すクラッカーの絵文字とともに。

今年、金婚式だったのか。。。
母も子供たちも、全然覚えていなかった。
父は一人カレンダーに記して、その日が来るのを待っていたんだ。
その直前に父は旅立ってしまったけれど。あと数日だったのに、残念だ。
でもきっと、その日が来ても父は、私たち家族には何も言わなかっただろうし、普段と変わらず過ごしていたのだろうけれど。

私は、何一つわかっていなかった。
かみ合わない会話の中でも、二人はお互いを思い合っていたことを。
世の中には、そんな夫婦関係があるんだ、ということも。


「こないだ、お父さんがね、夢にでできたのよ」
母が、電話口で話し始めた。

「それがね、妙に不思議な夢なんだけど、
いつもの感じでお父さんと二人で家にいて。
お父さんが出かける、というので車で送っていくことになってね、
あれは駅なのかなあ?どこかに着いて、お父さんが少し先を歩きだしたの。
しばらくしたら、お父さんが、お母さんの方を振り返って、
『じゃあ、行くから。』って。そして、
『俺はこっちだけど、お前は右に曲がるんだぞ』って。
『わかったか?右に曲がるんだぞ、右だぞ、間違えるなよ!』って。3回も言うんだよ。
あんまりにもしつこいから『わかったって!』って言っちゃったんだけどね。

そしたらね、お父さん、『じゃあな!』って手を振ってるの。
それが、普段の様子で片手をちょっと上げるのではなくて、
例えば、海外に住んでいる親戚と空港で別れるときに、じゃあねー!って、大きく大きく手を振るでしょう?
あんな感じなの。ちぎれそうなぐらいに大きく手を振っていて。
そのお父さんの顔がね、ものすごい笑顔なの。いつもみたいな不愛想じゃなくて、見たことがないぐらいの満面の笑顔で、
じゃあな!って、何度も何度も手を振って。
そして、お父さんの行く方向に行ってしまった。
コートを羽織って、すっと背筋も伸びててね、
あれは、30代ぐらいのお父さんの姿だったと思う。」

父は、急に足が痛いと言い出し、みるみるうちに動けなくなって、
救急車で運ばれて、そのまま入院した。
股関節を治療してすぐに戻ってくるはずが、
事態はとんでもなく深刻で、それから数日で父は帰らぬ人となった。
あまりに突然に事態が深刻化したので、私たち家族も驚きの渦中。
コロナのせいで、病院に駆けつけることもできず、家族は顔をみることも、言葉を交わすこともできず、
会えたのは、ドライアイスでキンキン冷えた状態の父。
葬儀の間も、母はずっと呪文のようにつぶやいていた。
「股関節が悪い、って入院したのに、どうして?」

そんな母が気がかりで、父は夢枕にたったのだろうか。
不思議な話だから信じるか信じないかは、あなた次第だけど、
それでも母は「なんだか、もやもやが晴れた気がする」と、
言葉の端に明るさを取り戻していた。
少しずつ、元の母に戻っている気がする。
焦らなくて、ゆっくりでいいからね。


50年も一緒に暮らして、挨拶もできないまま、
急に旅立つことになった父は、
母にだけ、さようならを告げに来た。
そんな父と母の遺伝子をもらって、今の私がいます。
さようなら、お父さん。
きっと、明るい世界にいるんだね。


入院したと聞き、心配してメールをした私に
翌日届いた、父からの返信。

「ありがとう。今日はゆっくり眠れた。
母さんに夜電話して励ましてやってほしい。
お前も大変な時だけど、スマンがお願いする」

結局それが、父との最後のやり取りになった。
大切な遺言。大丈夫。ちゃんと守るからね。









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