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『はぐれ人魚の耳飾り』

海の中は窮屈だ。お日様を食べて生き、流れのない深海で眠る、私たちに合う環境は広い海の中でもほんの僅かだ。大きな海流に守られた安全な場所で暮らすうちに退化したこのヒレじゃ、そう遠くへはゆけない。私たち人魚はひとたび海流に迷い込めば、どこまでもただ流されて海の藻屑になるしかないと聞かされて育つ。そうして安全ではあるけどどうしようもなく退屈な、この狭い世界に閉じ込められた私たちは、互いに愛し合ったり憎みあったりして、お互いがお互いの枷となって長い年月を過ごす。

みんな仲良くすれば良いのに、と無邪気に言えるほど純粋ではなくなってしまった。そうするには、ここはあまりに退屈すぎるから。だけど誰かの痛みに鈍感でいるくらいなら、潔癖すぎるくらいの方がいい。誰かが退けられたり、言葉や態度で痛めつけられるのをただ見ているくらいなら、自分がそうなった方がいい。これは正義感でもなんでもなくて、そうした方が楽だから、自分の痛みに鈍感でいるだけだ。

この場所じゃ、どれだけ長く生きたって同じことだ。分かり合えたと喜んでも、同じことの繰り返し。誰かの愛情や憎しみは、長い生を耐え忍ぶ暇つぶし、単なるスパイスでしかないことに気付く。そうなってしまえば私たちは、些細なことくだらないことで、いちいち諍いを起こしてはそれを解決して安心するようになる。なにも生み出さない癖にただただ互いを擦り減らすような口論でも、なにもないよりはマシだと思うようになる。

比喩だとか大袈裟じゃなく、この場所で一生を過ごすくらいなら、死んだ方がマシだ。誰かを傷つけて安心する自分を見つけてしまう前に、この大きな海流に呑み込まれて、海の藻屑になってしまいたい。潔癖と笑われても、誰にも理解されなくても、私自身にだけは嫌われない私でいたい。

ここを出たら、恐らくもう戻れはしない。恐怖?それとも、後悔?知らない感情が湧き上がるのを感じる。なんて美しいんだろう。知らないというだけで、こんなにも輝いて見える。今まで通ってきたいつもの道を少し踏み外すだけで、この六百年間一度も見たことのないものを沢山知った。六百年の全部より、今の私が一番好きだ。


『はぐれ人魚の耳飾り』


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