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声なんて届くはずがない。

ここ数年、世界各地で大きな紛争が起きていますね。

もちろんそのようなことが起きるのはとても悲しいことだと思いますし
そもそも国連安全保障理事会の常任理事国に加盟するような国が
侵攻に加担するという事態ですから
その当時は大きく取り上げられただけであり、
中東諸国を中心に情勢が不安定な地域はいくつもありました。

最近はそしてそしてアジア地域でも活動を活発化している大国もあります。
よく「地政学的リスク」なんて単語を報道で耳にすることもありますが
そのような国が近くにあると
どうしても(伝統的な)安全保障政策に力を入れざるを得ませんし
周辺諸国を含めた外交関係は緊張状態へ陥るのは仕方のないことです。

とはいえそこに資金や人的リソースが割かれてしまうわけですから
それはそれで考えようです。

本来であれば別のこと、たとえば福祉政策などに使えたお金であっても
武器を買うなどの軍事費に使われてしまうと考えると
なんだかなぁと思わなくもないですね。

人類の長い歴史の中で、いくどもの悲惨な戦争を繰り返してきてもなお
このよなことが続いてしまうというのは、
それはそれで人類の本性が垣間見えているといえるのかもしれません。

そしてその歴史の中で培われた知識や理論の中には
「平和のために武器を買う」
ということが含まれている

言い換えれば
軍事力の上に平和が成り立っている

ということに関しては
それが必要なことだと理解はできますし
なによりその平和を享受している身でこんなことを書くのも
おこがましいのかもしれませんが
なんとも言えない気持ちになります。

ですがこの点に関しては決して間違ったことではないのかもしれません。

歴史上
「パクス・ロマーナ」「パクス・ブリタニカ」
「パクス・アメリカーナ」
などと呼ばれていた時代には
これら「パクス」の後ろについている国々が
その強大な軍事力を背景に「平和」を実現させました。

結局は軍事力に頼らずに平和を構築することは難しいのかもしれませんね。


この点を踏まえるのならば
エマニュエル・カントがその著書「世界の恒久平和のために」
で提唱していた
「常備軍の廃止」というのは理想論にすぎないと批判される反面
軍拡競争を繰り返してきた歴史を俯瞰したからこそできる
主張なのかもしれません。


さて、話が大分飛んでしまいましたが
ここ最近はニュースで取り上げられるような衝突が起きると
世界各国でデモがおこります。

インターネットの発達で世界が一体化したことから
色々な情報を素早く入手できますし、国や地域を超えて
世界の人々が一体となって、何かに対して連携して
意思表示をすることが可能となりましたからね。

とはいったものの、
ウクライナでもパレスチナ自治区においても争いは続いています。

なんなら停戦のめども立っていません。

どんなに人々が声をあげても
その気になれば政府は無視できますし
そもそも争いの当事者が辞める気がなければ、止むことなんてありません。

こういってしまうと失礼かもしれませんが
デモなんて大した効果なんてなく、ムダな抵抗といっても
(ほとんどのケースでは!)いいのではないでしょうか。

また歴史の話になってしまいますが
デモがきっかけで何かが変わったことがないとはいいません。

フランス革命なんかが恐らくはいい例で
最初はデモみたいな形だった運動(?)が
最終的に王様を処刑してしまう結果となりました。

そう言う意味では、人々の意思が国を変えるという主張は
中々否定できません。

ですが、これは現代のフランスなどでもそうですが
デモ行進が発展すると
政府対市民側といった「衝突」になってしまうケースが
多々あります。

フランス革命でも結局は多くの血が流れましたし
デモが暴徒化し、略奪などが起きることもあります。

平和的な行為のはずが、いつの間にか暴力性を帯びている。
平和的に「武器を手放そう」とか主張している人々が
結局武器を取って、自分たちの意見を実現させようとしている。

それほどのことをしなければ政府に自分たちの主張を
届けることができないといってしまえばそれまでですが
結局は暴力に訴えていることに変わりはありません。

極端な言い方をすれば、
暴力を使って自分たちの言うことを聞かせようとしている点については、
やっていることが、武力を用いた争いを仕掛けている側と同じこと……
ということもできてしまうのではないでしょうか?

「ミイラ取りがミイラになる」ではありませんが
「武力を用いて自分の主張を通す」ということを批判している人々が
その批判の手段として武力を用いるに近しい行動をとっているわけですから
相手の行動を非難しているはずが、その有用性を逆説的に証明している
ともいえてしまう。


なんとも皮肉な物語ではないでしょうか?


もちろん暴力を肯定しているわけではあんりません。

でも結局人々はどこかで暴力に頼らないといけない。
そうニンゲンの歴史がささやいていると感じてしまいます。


歴史は繰り返す
とは、本当によくいったものです。


ニンゲンっていうのは、やはり愚かな存在なのかもしれないですね。


とまぁここまで偉そうに色んなことを書いておいて
じゃあ結局紛争をやめさせたい時とか
政府に行動を変えさせたいと思った時には
どうしろというんだと問われると
そんなものは分かりっこありません。

長い人類の歴史の中で人々が解決できなかった問題です。
解決は未来永劫不可能でしょう。

ただ1つだけいえるのは
どこかで暴力という存在に頼ることしか
人々にはできない
ということではないでしょうか?








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