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能登で暮らしたはなし ①きっかけ

ちょこちょことnoteで書いているが、2018年の10月からしばらくの間、能登で暮らしていた。

2024年1月1日の地震で、能登半島は大きな被害を受けている。
幸いなことに私がお世話になった方々のなかに亡くなった方はいないけど、家を失った人、職を失った人はたくさんいて、今もなお大きな大きな困難の中にいる。

たった数ヵ月、能登で過ごしただけの私が能登を語っちゃいけないと思っていた。
だけど昨日、能登で奮闘するある人から「一人一人が能登の思い出やストーリーを発信することで関係人口が増え、復興につながる。」という言葉を聞き、少しでもいいから発信してみようと決めた。


能登に行くことになったきっかけから能登で過ごした日々、今の能登のはなし、これから私がやりたいこと/やろうとしていることについて、数回に分けて書きます。
私のnoteに大した発信力はないんだけど、これを読んだ誰かが、能登半島に少しでも心を寄せてくれれば幸いです。

人生に迷っていた就活期

日頃から私のnoteを読んでくれている方はわかると思うが、今私は人生に迷っている。
そして、6年前も人生に迷っていた。
というかいつだって迷っている。人生迷子のベテランなのだ。

6年前の2018年3月。大学3年生の3月。
言わずもがなの新卒就活がスタートする時期である。

22歳の私は、今と同様にやりたいことがわからなかった。
好きなことはたくさんあった。化学も、教育も、地域おこしも、農業も、場づくりも、当時関わっていたものは全部好きだった。
だけど、何を仕事にしたいかと聞かれるとわからなかった。

わからないならわからないなりになんとなくやればいいのに、なんだか知らんがそれもできなかったのだ。
何をやりたいかわからなかった私は、周りがリクルートスーツを着て就活にいそしむ中、なーんにも、できなかった。

どうしようかなーどうしようかなーと過ごす日々。
決めているのは、大学を卒業することと教員免許をとることだけ。

大学生活で私が一番楽しかったことってなんだろうって考えたときに、「福島の今を知る」を軸にしたサークルを立ち上げ、福島と埼玉をつなげる活動をしていたことだった。
東日本大震災とそれからの福島を知ることは私自身の課題でもあったし、ボランティア先の南相馬や久ノ浜で、地域の文化や伝統に触れるのが楽しかった。

津波によりほとんどの家屋が流出した
南相馬市萱浜に菜の花の種を植えた。

そのとき、私は地域で生きたいんだって気が付いて、あーだけど私、福島と埼玉しか知らないぞ?と思って、せっかくなら日本中の色んな地域のことを知りたいなって。

そんなとき、たまたま知ったのが「地域仕掛け人市」。

日本中のさまざまな地域で地域おこしや地域活性化の活動をしている人たちが集い、ブースに分かれて自分たちの地域の活動を紹介するイベント。
地域で生きることに興味のある都市部の人たちが会場を訪れ、人と地域のマッチングをすることが狙い。
私が参加した2018年は恵比寿で開催され、全国33の地域から地域おこしの企業が集結していた。

「能登留学」との出会い

EBiS303の大ホールの角に、「能登の人事部」のブースはあった。
七尾街づくりセンターと株式会社御祓川が連携しておこなう、能登半島への人材確保のための事業だ。
少子高齢化により人材確保が難しくなっている能登半島の地元企業と、地方で仕事をしたい人をマッチングする、人材紹介事業といったところ。

そのなかに、学生向けのプロジェクトとして「能登留学」があった。

地域おこしに興味ある学生が、数ヵ月~半年の長期で地域の企業にインターンとして入り、地域の仕事体験をするという内容。
より深く地域に根差した活動をするため、多くのプロジェクトは半年単位で設定されていた。
もちろん、場所は能登半島。首都圏の大学に通いながら参加することは難しいから、ほとんどの学生が大学を半年~1年間休学して能登半島に入る。

そこで私は初めて能登半島の根っこ、石川県七尾市の存在を知った。

能登にいこう

能登の人事部のほかに、さまざまな地域のブースをみてまわった。
たくさんのパンフレットをもらい、日本中にはこんなにたくさん地域で奮闘している人がいるんだと知った。

EBiS303をあとにし、恵比寿の猿田彦珈琲でpanamaを飲みながら、決めた。

能登にいこう。

休学が前提であるから、大学卒業を遅らせて、何の仕事をしたいのかもっと時間をかけて考えられる思ったのもある。
たくさんの能登留学を受け入れた実績に安心感があったこともある。

だけどなにより、そのとき能登の話をしてくれたTさんの、地域を語る言葉が生き生きとしていて。
もともとは能登に縁もゆかりもなかったという方でも、こんなにキラキラと語れる地域なんだって思ったら、この目でそこを見てみたいと思った。
そこで頑張る人たちを知りたいと思った。

22歳の私は休学をし、能登に向かうことを決めた。

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