遠い呼び声/街角の小さな違和感(2)

 僕は正確に言えば、ラジオを持っていない。
ミニコンポに付いているラジオはアンテナ線をなくしてしまったから聞くことはできないし、ラジオ単体は防災用グッズに入っていたのだが、引越しの際にやはりなくしてしまった。車は持っていないからカーラジオを聞く事もなかった。たまに乗るタクシーのラジオを聞くともなく聞く・・・のが年に数回あるだけだった。
インターネットラジオの存在は知ってはいたが、アプリを入れていなかった。
仕事先の相手が最近インターネットラジオをよく聞くようになったというので、話の流れで僕も自分のスマホにアプリをインストールすることにした。
オンタイムで聞くのがラジオだと思っていたが、タイムフリーで聴けば過去のものも聴けるのに驚いた。
それで、僕は時々ラジオを聞くようになった。トランジスタラジオではなくスマホからDJの声が聞こえるのに最初は違和感がすごくあった。しかし、それにもすぐに慣れ、僕は毎日ラジオを聞くようになった。(便宜的にインターネットラジオではなく、ただラジオと書くことにしたいと思う)
 トマトソースを煮込んだりパスタを茹でたりしている間に、僕はラジオを聞く。そういう、しばらく手は離せないけれど、特に聞きたいものがないときにラジオはぴったりだった。
 再び一人暮らしをするようになって五年になる。彼女が出て行った後の部屋は妙に広く感じるが、ローンの残債もあったし、場所的には気に入っていた町なので引っ越すことはいまのところ考えていない。

 駅前の輸入食料品屋の軒先にキャンベルのスープ缶が安売りしていた。
僕はキャンベルの缶のデザインが好きだった。3個でワンセットだったので6個買うことにした。それだけでとても重くなってしまった。僕はリュックの中身を全部出して、もらった紙袋に入れ、代わりにキャンベルのトマトスープの缶詰を背負い南口の商店街を下った。金曜日の夜のせいで町は賑わっていた。まだ八時前なのに酔った若者たちの嬌声が通りに響き渡っていた。僕はすっかり重くなったリュックを背負い足早に商店街を抜けた。淡島通りに向けてしばらく歩くと、僕の住む小さなマンションがある。築年数の経った古びたマンションを最低限リフォームしたのが僕の部屋だ。

 郵便受けには宅配ピザのチラシしか入っていなかった。僕はそれをそのままにして、三階まで歩いて上がった。一日中、人がいなかった部屋は冷え切っていたので、エアコンをつけて部屋を温めた。
僕はコートを着たまま鍋に水を張り湯を沸かした。そしてポケットからスマートフォンを出し、ブルートゥースに繋ぐとラジオを聞いた。リアルタイム視聴、つまりオンエアーしている番組にした。やはりラジオはオンタイムがいい。僕はラジオを聞きながらキャンベルのトマト缶をフライパンに開けた。空いた缶一杯分の牛乳を入れて数回に分けて入れ掻き混ぜた。フライパンからは甘いいい香りがした。冷凍庫から刻んだパセリを出してパラパラと振りかけ、パルメザンチーズを振り入れ、黒胡椒をたっぷり挽いた。
お湯が沸き、そこにパスタを150g入れて塩を入れかき混ぜた。そして、タイマーをセットしながら馴染みのDJの話に耳を傾けた。
DJはいつものようにくだらないジョークを言ってから曲をかけた。マイルス・デイビスの「アランフェス協奏曲」だった。一時、僕はマイルス・デイビスを聴くことに凝っていた時期がある。あまりに聴きすぎてしまい、今ではほとんど聴くことはないほどだ。懐かしいと思いながらタバコを吹かしていると、驚いたことに知っている声が聞こえてきた。
その声はかつての妻だった。元妻は明るい元気な声でリスナーに挨拶し、DJと今年の冬がどれほど寒いかを話し合った。今夜の番組ゲストだった。

 元妻は作家だった。今は小説というよりエッセイストの方が通りがいいかもしれない。最後に小説らしきものを書いたのはもう十年も前のことで、その頃、僕は彼女と暮らしていたのだ。今の彼女の立ち位置は文化人枠のようなものなのかもしれない。DJと元妻は、最近の女性に関するひどいニュースを嘆き、少し怒り、やがて別の話題で笑い合い、また曲をかけた。アニタ・オデイの歌う「スターダスト」だった。僕は「スターダスト」を聴きながら(軽く口遊みすらした)茹で上がったパスタを鍋に入れキャンベルのトマトソースで和えて、テーブルに座って食べた。
この部屋からいなくなった人の声を聞きながら、一人で食事するというのは妙な気持ちだった。元妻は笑い、よく喋り(ラジオだから当たり前だ)、自分の本の宣伝をした。元妻は元気そうだった。
パスタを食べ終わっても番組は続いていた。僕はお湯を沸かして、紅茶を飲んだ。貰い物のクッキーを缶からいくつか取り出してぽりぽりと齧った。

 僕は妻の声が好きだった。特に笑い声が。それは小鳥がさえずるようで、幾つになっても大学生の頃と変わらない感じだった。
「声って老けないのよ」
「そうかな」
「そうよ」
そう言って昔の彼女はよく笑った。僕は彼女の笑い声を聞いているだけで幸せな気持ちになれた。
しかし、僕たちの暮らしの中で笑い声はだんだん少なくなり、いつしかお互いほとんど喋らなくなってしまった。彼女が創作の闇に引きずられたのか、単に僕と一緒にいることが嫌になったのかはわからない。多分、両方なのだろうと思う。
だから、ラジオから聞こえてきた彼女の笑い声は(それが仮に営業用の笑いだったにせよ)随分久しぶりに聞いたことになる。僕は、紅茶をすすりながら感じ入ってしまった。
 
 人はこうして再び笑うことができるのだ。
 
 やがて、番組は終わり、彼女はDJと共にリスナーに別れを告げた。
僕は、もう一杯紅茶を飲み、使った食器を全て洗うと、風呂を沸かして入り、歯を磨いてからベッドに入った。いつまでも彼女の笑い声が頭に響いていた。
隣を見ても、もちろん誰もいなかった。
僕は、彼女との離婚理由を思い出そうとしたが、それがなんだったのか全く思い出せなかった。
その晩は何故かぐっすり眠れた。
夢のひとかけらも見なかった。
 
                
                                 
 

             

                            

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