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「考える」ことよりも、まずは「体験」を!

超絶退屈な講義型授業の救世主となるのは、「体験」でしょう。

それまで死んだような目で空中を眺めていた子どもたちも、「道具」を渡された瞬間に目をきらきらと輝かせて動き出す。

それまでは、「教科書を開きなさい!」だの「ノートを書きなさい!」だの言っても一切動こうとしなかった子どもですら、手渡された道具で何かおもしろいことをしてやろうと考え始めるのです。

本日は、子どもたちに何かしら教えたいことがあったら「考えるよりも体験を取り入れようぜ!」という内容。

ぜひとも、さくっと読んでみてくださいね。

▼「考える」よりも、まずは「体験」だ!

理科の授業。

新しい勉強のお供として、「実験キット」が届きました。

教科書的に進めるのなら、教師のフォローを受けながら子どもたちと共に問題を提起し、実験計画を立て、さっそく「実験キット」という流れが一般的でしょう。

ただ、理科的な思考が得意でない子どもたちにとって、講義型で始まる授業というのはかなりハードルが高いと思うのです。

なぜなら、得意な人たちの予想合戦をぼ~っと聞く時間に終始して、自分の活躍場面や目的意識をもてないまま、時間を消費していく事態になってしまうから。

だからこそ、「実験キットでとことん遊びつくして、講義型へ行く!」という方法も、時にはありなのではないかと思うのです。

そんなことを問いかけてくれるのは、教育哲学者のジョン・デューイさん。

デューイさん曰く、

「幼い子どもでも、静かに内省するための小休止を挟むべきである。ただしこれはあきらかな行動の後のみに与える純粋な内省の時間であり、手など脳以外の身体部分を使う活動をした後に、得られた知識を整理するために使うべきものである。」

と、まさに考えさせてくれる言葉を残してくれています。

ぼくも含め、先生たちは、子どもたちが真剣に思考して、自分の素直な意見を活発に表現し、時に意見が対立して「なんでだろう?」と新たな疑問が生まれ、「きっと、こうじゃないかなぁ?」と話を展開しつつ深めていく姿を強く望んでいます。

ただ、このような理想を追えば追う程、授業は固くなり、子どもたちの活躍場面も狭まっていく。

要するに、「教師が子どもたちに理想を望めば望むほど、子どもたちの子どもたちらしい意見が出てこなくなってしまうのではないか」と思うのです。

▼子どもらしい意見を出してもらうために

「話し合いを深めていくためには、教師のテクニックがあるんだ!」と言われたらそれまでなのですが、ぼくのような素人は、

「存分に体験してもらって、そこから出てきた気づきから思考していく」

という方法も使わせてほしい!
#切に願う

先日も、理科の時間に実験キットを渡して、それなりに自由な時間を確保して様子を見ていたのですが、子どもたちは、次から次へと新しいことを思いつき実験を繰り返していきます。

もちろん、「何のためにやっているのか?」なんて小難しいことを考えている子どもばかりではありません。

しかし、集団で同じ道具を使って遊んでいると、誰かが発見した「おもしろいこと」があっという間に広がっていくのです。

その中には、その単元でねらいとする実験も含まれており、

「先生!〇〇なことが分かったよ!」

なんて、何にも教えていないのに確信に迫っていく子どもたちもいる。

まさに、「体験」を通して学ぶ子どもたち。

そこに、「ねらい」とか「強制」はなく、ただただ「楽しむ」ことが学習につながっていっている姿だと思うのです。

そんな気づきは、恥ずかしながら最近分かりました。

教えてくださったのは、先輩先生ではなく、教職ではないピースカフェスタッフと子どもたち。

つくづく、「ちゃんと授業したい!」とか思っていた自分の「ちゃんと!」って何だったんだろうなぁと原点に立ち返る必要性を感じます。

ただ、この気づきをプラスに捉えるのであれば、「どれだけ経験年数を積み上げても学ぶべきことがあり、学ぶ姿勢さえあれば、いくつになっても成長できる!」ということでしょう。

そして、そんな学びは、常に子どもたちの素直な姿から得られます。

小難しいことを考える大人ではなく、ただただ「楽しい!」を子どもと一緒に追求できる人でありたいと思う今日この頃でありました。

▼まとめ

本記事では、「難しく考えるよりも、まずは体験した方がいいよ!」という内容をまとめました。

どうしても、最初から成果を出そうとか、うまくいかせようとかしてしまいがちですが、時に、深く考えない見切り発射も大切です。

ぜひとも、どのような化学反応が起きるかを期待して、とにかくやってみようではありませんか!



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