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深夜2時にドライブを

「いや、それって大事にしてる”フリ”でしょ」と、画面を睨んだすぐあとには「いまの見たっ??」と振り返る。

最近、深夜のドライブに出掛けている。

わたしの周りには、信じられないくらいに車の免許を持っている人が少ないのだけれど(わたしも含めて)
夜のドライブは、いい。

走っているのはマリオカートで、
ときにはひとりで、ときにはオンラインで、ときにはソファーにふたりで座って
ときには、料理をしている君のとなりで、わたしはひとりで走っている。

走りながら、わたしたちはいろいろな話をする。
”マリオカートと会話”のバランスを、どれくらい保てるかは人それぞれで
友達が遊びにきてくれているときは、「話したかったちょっと重ための近況(文章だと伝えづらい)」を終えたあとに、マリオカートに移行する。
そうすると我々は「ゲームとしてのマリオカート」を楽しむ。

友達の中でもよく会う人だと、その立ち位置が変わってくることに気がついた。
「マリオカートをしているとき」だからこそ、話せることがある。

それは、本来ならば気遣って言わなかったことだったり、言葉を選ぶべきことが、まるで前走車を狙う甲羅みたいに、ポーンと飛び出してしまう。
話している相手と、視線が交わらないことが良い方向に進むこともある。
そして、脳の幾つかの容量をカートに奪われて、いつもと違う、何か心地の良い自分に、わたしたちになっていることも。


マリオカートをしながらだと、なかなかうまく話せることに気がついた。
苛立ちは甲羅にして誰かにぶつければいいし、虎視眈々と1位を、きちんと狙っていれば、話に対してイライラしている余裕がない。きちんとなくなる。
そして時折、自分のスーパープレイに歓喜する。
考えてる時間もあまりなくて、ちょうどよい感じに遠慮もなくなってゆく。
だいじょうぶ、わたしはいま、マリオカートでドライブ中だから。

顔を見て話を聞かないことや、ゲームしながらっていうことを、申し訳ないと思うこともあった。
やっぱり面と向かって話したい、みたいな気持ちがあって、そっちのほうが正しいような気がしていたんだけれど。
正しさって、信じられないくらいに曖昧だ。

「たくさん話を聞いてくれてありがとう」
「いーよ、べつに。ドライブしてるだけだから」

深夜2時、わたしは車を走らせる。
景色はシンガポール、アムステルダム、世界の各国を走る。
と思えば、ヨッシーアイランドを走り、サーキットやレインボーロードに帰ってゆく。

きっと、わたしたちに必要なのはそういう時間だった。
だから、いまでも時折、深夜に車を走らせる。

そしてもし、君が言葉に詰まったら
「ドライブでもいく?」
次は、わたしから誘ってみようと思っている。


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