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次の奇跡を

3月の通院が終わった。

9月から大きな病院に通い始めて、主治医との面談が2週に1度。
10月から週に1回、計15回の治療。
12月の終わりから週に1度、また別の治療を計10回。
現在は、主治医との面談も月に1度になって、想定していたすべての治療が終わった。

3月に入って、身体はずいぶんと軽くなったような気がする。
それでも、数値で言うとまだ正常ではない、と言われて驚いてしまう。
元の状態を、もう思い出せない。この半年のあいだに年も重ねて、身体は老いてもいる。35歳に向かうわたしが、33歳の身体に戻れるわけがなかった。

かつて骨折したときに、「損傷部位は元に戻らない」と言われた。
彼女の負った傷も、沈むように染み渡り、いまでも消えないのだと言う。
それは、ずいぶんと残酷な事実だった。
事実だとしても、言わないでくれたってよかったのに、と思ったことを今でも覚えている。
ピアノが弾けないだけではなく、お箸だって長いこと持てなかった。ファスナーを引いたり、蛇口を握ることすら苦痛だったのに。
戻らない、という言葉は絶望を濃くしただけだった。
右手の骨折跡は、いまでも時折痛む。

それでも、あのときの言葉が絶望の淵のわたしを救ったのもその後の事実だ。
戻らないんだ、仕方がないんだ。
言い聞かせて、認めるしかなくて、ここまできた。

骨折跡、花粉症や慢性的な鼻炎のようなもの、偏頭痛、肩凝り。
それらに類するウィークポイントを、ひとつ宿した。
いまは、そういうふうに納得している。

「治る、治らないじゃなくて。どう付き合っていくかだよ」
骨折に痛みに唇を噛んでいたわたしに、先生はそう言った。
彼女もきっと、わたしにそれを伝えたかったんだと思う。

今日は、バスに乗って帰ることにした。

丘の上の病院にはバスで通っている。
最近は、歩いて帰れるコースを開拓したので、歩いてばかりいた。
帰り道に太陽のひかりを浴びながら、母親に電話をする。
メタセコイアの林に辿り着いたら、ベンチに座って本を読みながらおにぎりを齧る午後を、愛していた。

だから、バスに乗るのは久し振り。
久し振りで、次にバスに乗るのは1ヶ月後か。
いや、4月の通院は2度だから、どちらも歩きコースを選択するのではないか。そんな気がしている。

ああ、じゃあ
30分もバスに乗る機会を、わたしはしばらく失うのか。
そう思ったら、寂しくなってしまった。
それは、ぐうっと落下するようで、驚きすぎて止められなかった。

ああ、わたしは愛してしまっていたんだ。
ひるまの、病院からの帰り道を。
いまとなっては、
愛しかなかったんだ。

ばかだな、まぬけが過ぎる。
病院に行くのを、あんなに怖がっていたではないか。
人生で、あんなに大きな病院に通うことはなかった。
朦朧とした意識で、いろんな検査を受けた。
病院の地図を渡されて、急にRPGの主人公になったかの如く目的地まで歩かなければいけない、と言われた日には誇張ではなく少し泣いた。
ひとりで幾つもある目的地に、順番通りに辿り着くだなんて。
そんなことができるはずがない。もう、帰りたい。
見づらい地図と看板を頼りに歩くしかなかった9月のことを、いまでも覚えている。
ここで合っているのかな?と不安なまま診察券を出したことも。
ここに座ってればちゃんと呼ばれるかな?と、そわそわと椅子に座っていたことも。
併設のコーヒー屋さんのカフェラテの味がわからず、「お湯だね」とひとりで笑うしかなかったあの日も。

通院は「不慣れなことも、回数を重ねれば慣れる」ということを身を持って教えてくれた。
新しい職場だって、最初は背筋を伸ばしてあくびすらできないのに、気づいたら背中を丸めてお菓子を食べているのと一緒だ。
関わったすべてのひとが、とても親切にしてくれた。というのも大きかった。
少なくとも、病院で「会いたくない」と思う人はいなかったことは、本当に恵まれていた。

少しずつ慣れたわたしは、いつもと違うバスに乗ったり、帰りの散歩道を検索したりした。
なんとまあ、のんきなことか。
いや、たくましい、と言うべきだ。きっとそうだ。
15回の強烈な痛みを伴う治療を受けながら、「病院の日は、花を買う日」と記憶をすり替え、その一環として「病院の日は、バスに乗って冒険する日」としたのだと思う。
いまでは、当たり前の顔をしてバスに乗っている。

そして、この時間を失うことを、寂しい、とすら思っている。

二人がけの席の、窓辺に身体を預けながらバスは進む。
ひるまの日差しは存分にあたたかく、細く開かれた窓からは強い風が吹いている。

ノイズキャンセルの機能がついてから、わたしのバス旅は5割増しで快適になった。
小さな音量で、たっぷりと音を飲み込むことができる。
そして、外の景色を見る。
わたしはいま確かに、わたしの時間の中の主人公なのだ。
どうかまだ、目的地には着かないでくれ。

最近よく聞くピアノインストアルバムが終了して、別野カナさんの歌声が聞こえてきて驚いた。

冬のあいだ、よく聞いていた。
親友が勧めてくれたアルバムを、何度も、狂気的なくらいに。

生きれる、と思った午後を、いまでも覚えている。

その歌声を聞きながら、バスの中で、痛む治療の最中で、それも効果のほどをあまり感じられない絶望の中で
その歌声は、わたしの心臓に薄い膜を作ってくれた。
その膜は、弱りきった心臓にぴったりと寄り添い、鼓動と、血液の行く末を見守ってくれるようだった。

別野カナさんがいなければ、死んでいたかもしれない

なんて言うのは、言い過ぎかもしれないけれど、そんなふうに言わせてくれたっていいじゃないか。
人生には、時折そういう奇跡が起こる。
心の隙間、放っておくと痛みだしてしまうところにすっぽりと収まって、守ってくれるような存在に、出会えることがある。

失恋していたときに聞いていたユーミンを、いまでも忘れられないように。

彼女は知らないなら友達になるわ
それしかあなたに会うチャンスはないもの 今は

松任谷由実 "DANG DANG"

恋人の別れから始まる歌詞の2番だ。
「別れた恋人に会いたいけど、会う手立てがない」
「今の彼女と友達になることが、別れた恋人に会う唯一のチャンスだ」という意味だと解釈している。

いやまあ、わたしそこまででもないし。
なんて思えたら、なんだか笑って生きられる気がした。
もちろん、「あなたにふさわしいのは、私じゃないって」という歌詞には、ずいぶん泣かされたけれど。

ユーミンを歌っていたから、わたしはあのとき死ななかった。
いまでも、そう思う。

奇跡はある、と思う。

わたしはあのとき、ユーミンを奇跡だと思った。
それは、ユーミンが用意してくれていた数多のギフトのひとつだった。

どこかで、誰かが作ったものを飲み込みながら、わたしたちは生きている。

高校生まで、水曜日がすべてだと思っていた。
マガジンとサンデーの発売日。それだけで生きていられた。

苦しくなったらスターバックスに行く、と決めていた。
年に数度だけ飲む”イングリッシュブレックファストティーラテ、オールミルク”に何度生かされてきただろうか。

骨折していたときは、スガシカオのブログを何度も読んだ。
わたしがその痛みと戦っているとき、彼は突発性難聴と戦いながら、メジャーレーベルを離れて音楽活動を一から切り開いていた。
スガシカオだって頑張ってんだから、と思ったら、わたしだって折れるわけにはいかなかった。勝手に、一緒に頑張っていた。

わたしは、数多の奇跡に生かされている。
いろんなものを容易く「奇跡だ」なんて思えるまぬけさ、よく言えばすなおさをしっかりと持ち合わせている。

自分がその奇跡の一端になれたら、
なれたらいいだろうけど、そこまでは望んでいない。

たくさんのおとなに守られて、骨折した骨は”だいたい”元に戻ってピアノも弾けて、今回も病気をなんとかすり抜けて、
生かされたわたしは、言葉を紡ぐことを選んだ。
そして、瓶に詰めた手紙みたいにインターネットの広い海に投げてみることにした。
紙に書いたら、わたしの死後まで誰も見ないだろうけれど、海に投げたら届くかもしれない。
誰かが投げてくれた手紙に救われたわたしは、同じように手紙を投げたかった。どこへも行かなくても、そうしたかった。

奇跡は受け取ることより、生み出すほうがきっと難しい。
どれだけ美しいワンフレーズが空から降ってきたところで、それに沿うAメロやBメロを作ることは、決して容易くない。

だから、わたしが適当に投げた安っぽい手紙が、誰かに届けばいい。なんて驕れている。

でももし、この手紙を受け取ってくれたならば
わたしの旗印の、やさしさとまぬけさが、あなたの日常を守りますように。
大きな奇跡にならなくても、道端の花くらいには、やさしい景色を見せられたら良い。
午後のバスのひかりのようなあたたかさと成り、不慣れにも慣れ、待ち受ける寂しさも乗り越えたり、受け流したりできるように。

だいじょうぶ。
きっと、だいじょうぶ。
大丈夫だという言葉ほど曖昧なことはないけれど、信じないことほど残酷なことはない。

「生きていれば、なんとかなる」
ここ数ヶ月は、そう言い聞かせてきていた。

自分でお金を稼ぐという社会の輪から外れて、金銭的な援助を受けながら生きている自分に、「果たして生きている意味などあるのか?」と問ったりもしたけれど、
病気になる前の自分に、生きている意味があったのか。と問われても、たぶん上手に回答できない。

恋人と別れてズタボロになったあと、「もうこれ以上悪いことはないね」と言われたあとに骨折したときには、さすがにいろんなものを呪ったけれど。

それでも、大丈夫。
いまは、大丈夫じゃなくったっていいけれど。そういうときに前を向けという人は、全員呪ったっていい。

不要だったら、この手紙はまた海に投げてください。
あなたに必要なときに、会えたらいいね。

それまでどうか、お元気で。生き延びて。

次は、沸き立つ瞬間に出会えるかもしれない。
それをあなたは、奇跡と呼ぶのかもしれない。






※12月のバスの旅




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