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めんどくさい、でも…の流れ

何をやるにも腰が重く、面倒に感じられて仕方ない時がある。

…「時がある」と書いたが、体感としては割と多い。

そんな時は、朝目覚めて起き上がるのも、お風呂に入るのもめんどくさく感じられる。

息吸って吐いてるだけで誰か褒めて~メンタルになるのだ。(実際褒めてほしい。)

でも、いくらめんどくさいと感じているとしても、目覚めてもなお無理やり寝続けていると身体が痛くなってくる。
お風呂に入らないでいると、だんだん気持ち悪くなってくる。

つまり、痛みなどの不快感が、めんどくさいという気持ちを上回ってくるのだ。

不快なのはいやだ。

めんどくさいという感覚も不快ではあるが、身体の痛みなどの不快感はより強いものだと思う。

なので私は諦め、めんどくさいに向かうことをしぶしぶ選ぶ。

こうやって文章にしてみると、めんどくさいと最初から感じずに(もしくは感じてもぱぱっと気持ちを切り替え、)行動してはどうか、と思えてくる。

確かにそうできたら素晴らしいだろう。

でも、なかなかそうできないのだから、仕方ない。

めんどくさいと感じてやまない心の状態であったとしても、自分なりに諦めて、結局動いていることも十分素晴らしいのだと言いたい。

このように自分を褒めつつ過ごしている。

お読みいただきありがとうございます。