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内と外と

内向的な人と外交的な人と大まかに分けると、内向的な人は生きづらさをより感じやすいんじゃないか、と思う。

そう思う大きな理由の1つが、
「外交的な特性を良いものとする価値観」がこの社会では広く支持されていると感じるからだ。

外交的な特性とは、たとえば
・人と話すことを好む(初対面の人を含む)
・人と時間を過ごすことを好む
ことなどが挙げられるだろう。

桜の季節である今、テレビのニュースではお花見の様子がよく映されているが、
そこでは1人ではなく複数人で集まって飲食や会話を楽しむ人たちが主に取り上げられている。

このような季節のイベントに集って交流を楽しむ人は、多かれ少なかれ外交的な特性を持つ人が多いはずだ。

しかし、中には1人で桜を楽しむ人もいるはずで、そういう人のことを取り上げてもいいのでは、、?とも思う。(1人で楽しんでいる人は邪魔されたくないと感じる気もするが。)

とはいえ、私はこの投稿で、外交的であることやそのような人々に物申したいわけではない。

ただ、テレビなどのメディアは外交的な人の視点から語られることが多いのではないか、と感じるのだ。

趣味や食事などによって1人で時間を過ごすことは「ソロ活」と呼ばれているが、わざわざその行為に名前が付けられることからは、1人行動が社会においてまだまだ基本ではないことを示しているように思う。

人と時間を過ごすこと=充実している、
1人で時間を過ごすこと=寂しい
のような、偏った価値観が未だに人々の考えのベースに存在しているのではないかと感じることがある。

どちらが良い悪いというわけではなく、それぞれの好きな過ごし方を尊重して、気持ちよく共存していければいいのだが、
そのためには自分の思う良し悪しを無意識に押しつけることに自覚的でいる必要があるなと最近あらためて思う。

読んでいただき、ありがとうございます。