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あんぱんあはは

 新しいパン屋さん、見つけたよ! 
 あんぱん求めて半径100km!

「ねぇ、あんぱん、好き?」
 誰かにこう訊いたら、
「好き。大好き」「私は粒あん派」「私はこしあんだよ」
 ほとんどの人が笑顔になって、こんな風に答えてくれるはずだ。
 たまに、甘いものは苦手って言う人に出会っても「でも、お母さんが毎日のように食べてた」なんてことを、またまた笑顔になって言ってくれたりする。
 そう、私は、あんぱんほど老若男女問わず愛されて、誰をも笑顔にする存在を知らない。メロンパンもカレーパンもクリームパンも好きだけど、人を笑顔にするという点では、絶対にあんぱんだ。あんぱん最強。

 私、山本佑香、二十四歳、独身。
 子供の頃からあんぱんが好きで好きで、毎日のように食べていたのに、まだ飽きていない。
 現在は『新しいパン屋さん、見つけたよ!あんぱん求めて半径100km!』というタイトルのホームページを作り、自分が買ったパンの写真を撮り、お店の紹介と食べた感想を記事にして投稿している。
 いや、していた。一週間前までは。
 一週間前に、私は、あんぱんと同じくらい魅力的で美味しそうなものに出会ってしまったのだ。
 それはね、オ・ト・コ。
 私の職場近くに新しくできたパン屋さん、店名は『ベーカリー元気な自然』。そこのレジに、男は立っていた。
「あんぱんが好き? 嬉しいなぁ。僕が今、一番力を入れて焼いてるパンなんです」
 その男は言った。

 自家製天然酵母と北海道産の小豆を使ったあんぱんの上には、塩漬けの桜がちょこんと置いてある。その最高に美味しいパンを、爽やかな笑顔のこの男が焼いている。
 それを知った瞬間に、キンコンカンコーン、私の頭の中で鐘が鳴った。運命の出会い?
 そして私は、その『ベーカリー元気な自然』でのみ、あんぱんを買うようになってしまったのだ。オトコ目的で。
 新しいパン屋さんを開拓しなくなったから、ホームページの更新も出来ない。
 職場に近いので、毎日、昼食として、あんぱんを四個買う。そして近くの公園で、彼の笑顔を脳裏に再現させて、あんぱんを食べる。
 あぁ、幸せ。
「さっさと狩りに行きなよ。告白しなさいよ」
 女友達は口を揃えてそう言うけれど、あんぱんを毎日買って、彼に顔を覚えてもらって、ゆっくりとこの恋を前進させたい。なんてことを考えながら、あんぱんを食べる時間も好きなのだ。

 そんなある日、いつもの公園であんぱんを食べていたら、小学生くらいの女の子が暗い顔で向かいのベンチに座っているのに気がついた。ここ数日続けて見る顔だ。
 夏休みだから、公園に子供たちは沢山いる。でも、暗い顔でベンチに座っている子は、この子だけだ。気になる。非常に気になった。
「あんぱん、食べる?」
 私は、その女の子に近づいて声をかけた。
 女の子は、私を見た。無表情で。
「知らない人から食べ物を貰ったらダメだって、親に言われてます。それに甘いものは太るし」
 あぁ、そうか。そりゃ、そうだよなぁ。
 私は、女の子の隣に腰掛けた。
「小学生でも太るの気にするんだ? 私なんか、食べるのやめられないのに、偉いね」
「ジセイシンがないんですね」
 私の言葉に対して、女子小学生は、そう言った。私の頭の中で、ジセイシンが自制心と漢字変換されるのに数秒かかった。
「ひえっ。難しい言葉知ってるね」
 私がおどけて言うと、小学生は冷凍庫から取り出したばかりみたいな声で「塾に行くので」と言い捨て、去って行った。
 
 次の日も、もちろん私はあんぱんを買いに行った。
「あんぱん、本当に好きなんですね」
 レジで支払いをするときに彼が言う。
「はい、大好きです(あなたが)」
 私は、彼の目を見て告白する。
 このスリリングなひとときを楽しんでから、公園に行く。
 昨日と同じベンチに同じ小学生がいた。
「あんぱん、食べる?」
 何かが気になると、どうしても目を逸らせられない私は、また小学生に声をかけた。

「あ、昨日も会ってるから、私は知らない人ではないよ。知ってる人からの、あんぱんね」
 小学生は相変わらずの無表情だったけれど、私が押しつけたあんぱんを受け取ってくれた。 
 二人でベンチに並んで座り、黙ってあんぱんを食べる。
 沈黙。五分で私の限界がきた。
「このあんぱんね、私の好きな人が作ってるの。片想いだけどね。元気な自然ってお店、知ってる?  そこにさぁ、イケメンがいるのよ」
 無言の小学生を相手に、喋り続けた。
「好きな子、いる?」
 反応のない小学生に質問した。
「いません。男はみんな馬鹿だから」
 うっ。あんぱんを喉に詰めそうになった。
「いや、うん、確かにそうかもしれないけど、私も馬鹿だよ、女だけど」
「塾に行く時間ですから」
 小学生は、私の話を遮り、ベンチから立ち上がった。
 そして三歩ほど歩き、振り返った。
「あんぱん、ありがとうございました」
 お礼を言ってくれた。にこりともしないで。
 小学生の背中のリュックサックには『必勝』と書かれたお守りがぶら下がっている。歩調に合わせて『必勝』が揺れている。
 私は、その小さな背中が去っていくのを見つめながら、中学受験のために塾に行っていた頃の自分自身を思い出していた。
『じゃぁ、勝て! 入試だけじゃなくて、色々なことに負けないくらい、心を強くしろ! 必勝』
 なんだか訳が分からない熱い気持ちになって、心の中で叫んだ。
『よし、あの子には、馬鹿もいいもんだよって、教えてあげよう』
 使命感のようなものを持った。

 それからも毎日のように、私は昼休みになるとパン屋に行き、あんぱんを買い続けた。その時間帯のレジには、必ず彼が立っていた。
「本当にあんぱんが好きなんですね」
「はい、大好きです(あなたが)」
 彼の目を見て告白するときの、自分の顔を私
は見てみたい。
 そして、そのあと公園に行き、牛乳を飲みながらあんぱんを食べる。あの小学生の女の子と。
 小学生は相変わらず、どこかの会社の疲れ切ったおつぼねさまのような対応を私にしてくれる。
「友達? いません。くだらないおしゃべりはしたくないし」
「そう? くだらないと思っていたことが、あとにになってさぁ、宝物だったって気づくこともあるんだよぉ」
 小学生は、ふんと鼻を鳴らす。

 パン屋の彼に恋して一カ月。八月下旬。
 その日も私はいつものように、心でスキップしながら『ベーカリー元気な自然』に行った。
 レジに可愛い女性が立っていた。彼はいない。
 アルバイトを雇ったのかなぁ、って思っていたら、彼女が私のあんぱんを袋に手早く入れながら口を開いた。
「あ、毎日あんぱんを四つ買ってくださるお客さ
まですよね。ありがとうございます。主人から聞いていました。お会いしたいなぁって思っていたんです」
 主人?  え?  えっ?  まさか、彼は結婚していたの?
「主人、あんぱんにこだわりがあるので。お客さまのこと、とても嬉しそうに話しています」
 とかなんとか、言ってた気がする。もう、私の耳には何も入らなかった。

 私、山本佑香、二十四歳、独身。またしても、恋に破れた。
 小さなパン屋の経営は、家族でやっている率が高い。ご夫婦でやっている店も多い。この一カ月間、そのことを考えなかった自分を呪いたい。
「はぁー。ったく」
 私は、公園のベンチに座って、ため息をつい
た。公園の上を飛ぶカラスが「ばーか、ばーか」
と鳴いているように聞こえる。あんぱんが入った袋を持ったまま、空を見上げた。憎たらしいくらいの青空。
「あんぱん、食べないんですか?」
 隣から声がして、見ると、いつもの女子小学生が私を見つめていた。眉間に皺を寄せた表情で、私を見つめている。
 私は、小学生の顔を、無言でしばらく見つめ返した。なんだか涙が出そうになる。
「そうだね、よし! あんぱん、食べよ!」
 私は大きな声でそう言って、紙袋の中から、この一カ月間食べ続けた、塩漬けのピンクの桜の花がのったあんぱんを取り出した。
 女子小学生の手に、ひとつ、のせる。
「うん、あんぱん、食べよ!」
 私を見つめていた小学生が、初めて、大きな声を出した。この子の夏休みも、もうすぐ終わるなぁ、と私は思う。
「ねぇ、私さぁ、たった今、失恋したんだけど、聞いてくれる?」
 私は、くだらない話の相手はしたくないと言っていた小学生に訊く。
 小学生は、しょうがないなぁって顔で、うなずく。彼女の瞳には、優しい笑みがほんの少しだけ浮かんでいる、ような気がした。
「今日、ベーカリー元気な自然に行ったらさぁ」
 私の失恋話に、小学生が耳を傾けた。

 私はあんぱんを齧りながら『新しいパン屋さん、見つけたよ!あんぱん求めて半径100km!』を再開しようと決意した。
 いろいろなお店であんぱんを買って紹介をするホームページの更新をしよう。私はあんぱんの魅力を伝え続けるのだ。
「美味しい」
 女子小学生が小さく笑った。
 そう、私は、人を笑顔にするあんぱんが、やっぱり好きだ。笑顔が大好きだ。あはは。

 ねぇ、あなたも、あんぱん食べる?



 小牧さま、今年もよろしくお願いいたします。

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