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金木犀の風が吹く

気づけばもう、あれから間も無く10か月。あっという間に時間が過ぎていってしまった。

娘と共に、初めて外の世界に触れた日。入院する前の照りつける暑さはすっかりどこかへ行ってしまったようで、やわらかな陽射しが心地よい。金木犀の香りをまとった風が肌をかすめて、私たちを歓迎してくれているようだった。

天を仰ぎ、木々のざわめきを聞く。
娘と一緒に初めて触れたあの光を、あの匂いを、あの風を、私はきっと一生忘れない。

1人で入院して、2人で退院する、ということ。
病室では、私と娘の2人だけが、この世界のすべてだった。そこから一歩外に出た途端、1人から2人になった事実が、急にずしりと重みを増す。と同時に、小さな娘の人生がまさに始まろうとしているこの瞬間、その尊さにとてつもない眩しさを感じた。
そして、きっとここから、私にとってもまた新たな人生が始まることを確かに感じていた。


妊娠中に初めて、2人きりを体験した日のことを覚えている。
コロナ禍ということもあり、妊娠してからはずっと家で過ごしていたものの、仕事で何年もかけて取り組んでいたプロジェクトがあり、妊娠5ヶ月にして久しぶりの出張をすることに。仕事を終え、ビジネスホテルの部屋に戻り、いざ寝ようとしたとき、急にとてつもない不安が押し寄せてきて、号泣したことがあった。
当時はそろそろ胎動を感じられるか感じられないかという時期でもあったので、お腹の中にいる子の存在を、それまでより強く感じられるようになってきていたことも影響していたのかもしれない。
これまでもさんざんいろいろな土地を行き来してきて、見知らぬ場所に泊まるのなんて全然珍しいことじゃなかったのに。お腹の子と、私と、初めて2人きりで過ごした殺風景なビジネスホテルの部屋は、なんだかとても頼りなくて、冷たく怖い場所に思えた。私にはこの子を守れるんだろうかと、漠然とした不安が一気に押し寄せてきて、明日も朝早いから眠らないといけないのに、とめどなく流れる涙を止めることができなかった。

そんな出来事からも1年が経ち、今こうして私の隣には、元気に生まれてきてくれた娘がいる。

子どもが生まれるときっと生活が変わるんだろうなと、なんとなくは想像していたけれど、正直、こんなにも見える世界そのものが変わるとは思っていなかった。
街中を歩けばベビーカーや親子連れが目に入って、あれ、普段こんなに子どもいたっけ?と思ったり。産後の頭がうまく働かない日々も、眠れないつらさも、授乳室やオムツ替えできる場所の存在も、こんなに出かけやすい場所と出かけにくい場所があることも、知らなかった。子育ての中で得る気づきはあまりにも多すぎて、これまでの価値観が日々塗り替えられているようにも思う。
盛大なお祝いはせず、結婚、妊娠、出産という大きなライフイベントを比較的淡々と過ごしてきた私でも、頭で想像していた以上に、子どもが生まれたことは大きな転機だった。

そんな、娘が教えてくれたこの新たな世界で見えたことを、時々メモのように書き残せたらいいなと、久々にnoteを開いてみた。
線引きをするつもりは全くないけれど、子どもがいない人に、子どもがいる状況を想像してもらうのは、本当に難しいと思う。1年前の私(妊娠中だったけれど)には、今の私は全く想像できなかった。できるはずもなかった。そのくらい、見える世界が一変している。

でもきっとこれから生きていく社会の中では、この齟齬を少しでもなくせるように、子どもがいる人もいない人もお互いのことを想像しあえるような環境づくりが必要な気もする。そう考えると、私が、ただの1当事者の視点から見えたことをときどき書いてみるというのも、ほんの少し意味はあるかもしれない、と思って。

そんなわけで、新しい世界、こんにちは。

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