嫁という存在⑦

 帰省中、割と調子の良かった祖母に、繰り返し言い聞かせたことがある。
「会社行くのに、歩いて行かんで良いんよ。ちゃんとバスで迎えに来てくれるけん。みんなでバス乗って行く方が楽しかろ?みんなばあちゃんと一緒にバス乗って行きたいって思っとるんよ。だからひとりで歩いて行かんと、遅くてもバス待っといたげてね」
 昔勤めていた会社が施設と同じ方向にあるせいで、祖母はデイサービスに行くのを仕事に行っているつもりでいたようである。わかったかわかっていないかは謎であるが、それ以降、デイサービスに一人で歩いて行く回数は、随分減ったようである。
 しかし祖母の認知はそれからも進み続け、介護認定の数字が跳ね上がったことから、施設入所への一途を辿る。
 私達は施設に入所するなら、大阪で祖母の介護をするつもりで話し合っていたのだが、最後に実家で会ってから入所するまでの期間が、半年に満たない速さであったことに加え、当の本人が大阪行きを拒んだのであった。
「ばあちゃんは大阪には行かんよ。ここがええ」
〝ここ〟とは決して、〝施設〟ということではなかったかと思う。生まれ育った海続きの町であり、嫁いできて半世紀以上を暮らした場所のことだったのではないかと思うのだが、いずれにせよ慣れた故郷から離れることになった事実に、私達は泣くことしか出来なかった。
 祖母が老健施設に入所して間もなく、冬子さんが仕事を辞めたと叔父から聞いた。
「腰が立たんようになって、病院通っとる…」
 私は怒りで気が狂うかと思った。病院通える時点で、腰、立っとるやないかーーー!!!
 大した人である。助けを必要とする人が居る時には決して仕事を辞めなかった人が、自分の生活圏からその存在が消えた途端、それ程執着していた仕事をあっさりと辞めたのだ。本当に〝腰が立たなくなった〟のだとしても、俄かに信じ難い。そして誰から信じてもらえなくても、この人は平気なのであろう。強いというしかない。
 母の学生時代からの親友にY子さんという人がいる。彼女は自分の両親を二十年近く自宅で介護してきた。その間にヘルパーの資格を所得し、先日お父上を亡くされたが、今もお母上の介護を続けている。
 祖母の介護問題が勃発した時、母の良き相談相手だったのはこの人だった。そして、その時初めて〝介護放棄〟という言葉を聞いたのである。
 介護はする側の人間にとって、想像以上の負担を強いる。自分の両親の介護が出来て幸せだと言うY子さん。私から見ればナイチンゲールのような彼女でさえ、何度も心が折れそうになったそうだ。それを思えば、並大抵の覚悟で出来るものではないということは理解出来るが、冬子さんの仕打ちはまさに〝介護放棄〟。他人の目に映る叔母の姿が、私達のエゴから生まれた偏ったイメージと違わないことに、たとえ誰かに「歪んでいる」と指摘されたとしても、救われる思いであった。
 
 今現在、母は二ヶ月に一度のペースで祖母を見舞っている。
 実家に泊まりたくないという理由から、早朝出発深夜帰宅の強行スケジュールであるが、駅まで下の叔父が迎えに来、その足で祖父の墓参りへ行き、祖母を見舞い、帰りまでの僅かな時間を下の叔父の家で過ごす。
 夏子さんは母の為に毎回土産を用意し、忙しい仕事の合間を縫って夕食の準備をしてくれると言う。キリが無いので土産は断っているのだが、夏子さんはやめないばかりか、母の訪問を必ず歓迎してくれるらしい。毎回、「次は泊まりで来て」と言ってくれるのもありがたい。
 私は「一泊さしてもらいよ(私ならお言葉に甘える)」と言うのだが、母は大変でも自宅で落ち着いて眠りたいらしい。我が親が不憫とさえ思えるのは、今までたった年一回自分の実家に帰っても、心から寛ぐことが出来なかった経緯を目にしてきたからかも知れない。
 知り合いは「そんなに嫁に気ぃ使うなら、おばあちゃんには悪いけど、実家なんか帰らんかったらいいのに」と真顔で言った。
 そんな風に考える人もいるのかと驚いたが、きっとこの人に解ってもらおうと思っても無理なのだと思った。そしてこの人にとって、〝親子〟とは一体どういうものだろうとも…。
 

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