げっそり事件

 例年、図書室の掃除は4年生がしてくれている。教室が一番近いクラスの担当場所になっているのだが、一度、年間の掃除担当表に図書室の記載がなく、教務に確認したら完全に抜け落ちていたことが判明した。
 その年は6年生が例年より一クラス多かったので、新たに配置してもらい、一年間だけ6年生が担当してくれたことがあったが、教室が遠いばかりか、6年生ともなると各種行事やその他の課題、色々な準備などでかなり忙しい様子。当時の担任が図書室掃除を重要視してくれたから良かったものの、子ども任せであったらどうなっていたかわからない。
 その年の例外を除き、4年生の活躍あって図書室の清潔が保たれ、また時に、司書の事務作業の助けになって、彼らから学校図書館の運営に甚大な協力を賜るのだが、一定期間を経ると掃除のメンバーが変わる。初年度は学期ごと、翌年は6年生。その次以降は4年生の班ごとで、一週間ないし二週間でメンバーが変わった。
 席替えなどがあると、メンバーは変わっても二週続けて同じ子が来たりする。班は小グループの小組織なので、メンバーによって掃除の仕方も個々の動きも、はっきりとカラーが分かれるのが特徴であった。
 よく気付き、よく動く。
 リーダー格が采配を揮う。
 口だけ達者で行動が伴わない。
 仕事そっちのけで司書と喋りたがる。等々…
 非常に個性豊かで面白い一方、掃除の役割を果たさないメンバーに当たると、司書の苛々も時にピークに達する。
 授業では力を発揮できないのに、掃除では大活躍するなど、良い意味でのギャップには感動を覚えるが、今年は何故か逆が多い。メンバー間での上下関係や対立が激しく、言葉を返せない子への攻撃が目に余るのだ。
 1・2年の時は本当に大変で、3年生になって「成長したね~」と大人達が涙を拭うほど心身ともに大きくなった学年だった。しかし4年生になり、色々と後退している気がする。3年間持ち上がりで学年主任を務めたやり手の先生が離れたことが影響しているのかと思ったりもするが、一年のうち250日近い指導を、こちらが逐一見守って来たわけではないので、いい加減なことは言えない。
 不器用な子に対する、達者で口汚い言葉が気に障る。こちらも黙っていないので一々注意し、一旦は止むのだが無くならない。忘れてしまうのか、癖になっているのか、注意される不快感より、他者の不器用さや鈍臭さが目に付き、怒りに火が点いて言葉や態度による攻撃が止められないのか、その全てが理由であるのかも知れなかった。
 悲しかった。
 性善説を信じているわけでも、子ども達のすべてを愛しているわけでもない。しかし4年生ともなると、不足だらけだった低学年時代よりひと回りもふた回りも成長した姿を見せてくれる。いや、今までは見せてくれた、のだ。
 高学年になると、思春期に差し掛かるのと同時に、また別の難しさが出てくる。陰湿ないじめ問題が勃発しやすいのもこの年頃で、自分にも経験がある分、この学校の児童は心が広く、友好的でありながら、優しい子が多いのだと思っていた。
 しかし4年生の段階でこの状況。掃除の時間というごく短い時間だというのに目に余る。掃除の時間だけで済んでいないのではないかという憶測さえ消せなくなった。
 3年間学年主任だった元担任に、過去の様子を聞きがてら相談してみると、放置すればいじめ問題に発展する可能性ありとのことで、直接担任に話すよう言われた。元学年主任…今は別の学年を受け持っている。そりゃそうだよな…と思いつつ、ターゲットが限定されているわけではなく、どの班でも何かしら起こっている状況ではあることから、一先ず全部の班の様子を見てから報告するか否か考えると伝えた。

 授業の合間を縫って職員の健康診断を受けた日の午後は、五時間目に授業が入っていた。胃の健診でバリウムを飲むため、健診の日は午後から休みを取る職員が多い。しかし司書は時間割変更が難しく、差し替えがややこしい。前年、ぎりぎり五時間目に影響が出ない範囲で何とか体調が落ち着いたため、今年も同じ構えでいた。
 下剤を飲み、何とか掃除の時間に一旦バリウムの排出が成功したので、ほっとして授業の準備をし、始業を待つが、この日に限って該当クラスが時間通りに来ない。そうこうしていると二度目の腹痛が…と同時に、子ども達もやって来た。
 担任に事情を話してトイレへ立とうと思ったら、何故か担任が居ない。新任の担任は好く気の付く真面目な女性。今まで子どもだけで授業に来させるようなことはなく、必ず引率して司書一人が授業を回すことが無いよう、常に配慮出来る人であった。
「担任の先生は?」
 腹痛を堪えながら児童に訊ねる。
「えー、知らん」
 誰も担任の不在に気付いていなかった。
 脂汗を垂らしながら授業開始。カウンター業務を図書委員に委ね、腹痛による吐き気を必死で堪える。下から出せなければ上から出ようとするなんて、人間の身体も意外と単純だ…などと考えていたら、少し痛みが和らいできた。調子の良いところを見計らい、ルーティーンを熟すが、読み聞かせ中も容赦なく波が押し寄せる。闘いだった。
 チャイムが鳴る頃、疲れた顔をした担任が入って来た。整った顔をしているので、普段メイクをしているかいないかなど気に掛けたことはなかったが、今日はノーメイクなのだろうかと思うほど顔色が悪い。
「授業来れなくてすみません。ちょっといじめ対応に追われてて…」
 学校を出たてで教師になり、三ヶ月余りのげっそりした顔を見ていたら、責める気にはなれない。懸命なのは充分に伝わるし、平和だと信じていたが、いじめと呼ばれるものが全くないわけではないのは、4年過ごしてある程度わかっていた。唯、あっても生活指導や担任が一丸となって素早く対応し、再発防止に努めているのは知っている。世間一般で問題視されているような、死を連想させるほど陰湿なものとは程遠い事例ばかりで、『そんなこともいじめ?』と、大袈裟に感じるものでさえ、真摯に芽を摘んでいた。
 労いの言葉を返し、終業のチャイムと共に、児童共々で送り出した後、50メートルを競歩で進み、職員用トイレへ飛び込んだ。
 死ぬかと思った一時間…新任の彼女と私、どちらがげっそりしていたかはわからない。

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