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ふたりのハーモニ

2月。
と言ったらバレンタイン。
バレンタインと言ったら3世紀ローマで結婚を禁止されていた兵士たちを結婚させた、聖ヴァレンティノ牧師を悼む日……

ということで、今回はバレンタインにちなんで、私の思うパートナーシップについて話してみたいと思います。
ここで、驚く人は驚くニュースなのですが、私先月パートナーができ、めでたく交際がスタートしました!
昨年一年は大いに失恋し、「もう恋なんてしない……」なんて、某歌詞のように日々メソメソしていたのですが、「……なんて、言わないよ、絶対~」という歌詞の続きらしく、再起復活しました。
と、軽く言っているようですが、実際は未練がある中での新しい恋愛の選択は結構難しかったです。
過去に生きるのは居心地が良かった。
でも生きているなら、前を向かないといけない。
誰かと一緒にいる未来を生きたかったから、今いるパートナーと一緒にいることを選びました。
パートナーは元々友人で、共通の知り合いも多く気兼ねがなく付き合える相手です。
色々と悩みましたが、一緒にいて楽!これが決め手となりました。
今は日本の西と東で遠距離ですが、互いに叱咤激励しながら順調に良い関係性を築いています。

先日は、そんなパートナーとの初めてのバレンタイン。
遠距離のため当日は会うことができず電話で話をしていたのですが、電話口で私が言ったセリフは、
「バレンタインのチョコは会った時か来年でいいかな? 私バレンタインってそんなに重きを置いてなくて。だってバレンタインって明治(製菓)の戦略だよね。関係性を深めるきっかけとしてはいいけど、それに使われちゃったら、なんか違う気がするんだよね」
……確かにそうとも言えますが、我ながら色気のカケラもない。
それに対して、
「負担になるくらいなら何もしなくていいよ~」
と気持ちを受け取ってくれるパートナーは、理解してくれているというか、本当に大らかな人だと思います。
と、バレンタインの捉え方は人それぞれ、パートナーによってもそれぞれだと思いますが、ここで言いたいのは、私の思うパートナーシップにとって、こうして「何でも話せる」というのは大変大事なことである、ということです。

「何でも話せる」と言葉で言うのは簡単ですが、実際に何でも言うのは結構難しい。
家族であっても私は何でも言えないですし、家族だからこそ心配させたくなくて言えないこともあります。
ただ、ここで人生長く一緒にいる可能性の高いパートナーとは何でも言える関係でありたい。
私とパートナーは付き合う前から友達同士で色々と話をしていたことと、付き合う時も「何でも話せる関係でいたい」とパートナーシップのビジョンを合わせていたのもいいように働いているように思います。

とはいえ、今までの私はこんなパートナーシップは全く考えていませんでした。
言い方は悪いですし、今まで関わってくれた人たちに大変申し訳ないのですが、今までの私は男性は利用するものとして関わっていました。
お金は出してもらって当然、何か気に入らないことがあったらすぐに関係を切る。
若さの強みもあったとは思いますが、今思っても我ながらひどい人間だなと思います。
ただそれは、人と深い関係を築くのが怖かったというのはあります。
パートナーこそ身近になる存在で、だからこそ心を開く面もあって、当時の私は人に心を開く余裕がなかったのだと思います。
今は、最初に心の内のことを話すのは勇気がいることもありますが、話してしまえば話しやすくなりますし、そうしたオープンに何でも話せる関係って安心感があっていいなと思っています。

そうした堪え(こらえ)性のなかった私からして、長期間一緒にいるパートナーシップには、ある種忍耐が必要だと思っています。
そして、忍耐をすることにこそ面白さがあると思うようになりました。
何か気に入らないことがあった時に、「我慢する」もしくは「関係を切る」のではなく、その人だからこそ「折れて、許す」そして「2人で話し合う」のです。
双方向のパートナーシップとなると、お互いに妥協も必要ですし、相手のことを思いやる気持ちが大事になります。
そして、それらは「しないといけないこと」ではなく、そうすることで生まれてくるそのふたりならではのハーモニーが唯一無二で面白いと思います。
人といると、一人でいるより好きにできないこともありますし、イライラすることもあります。
でも、それ以上に一緒にいることで生まれてくるワクワクを楽しみたいと思います。

このパートナーシップは今始まったばかり!
春は、ここからです。        

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