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「生きてりゃいいさ」

急な話だが、この半年間私は苦しみの中にいる。
半年前に気になる人ができたのだが、とある事情があり、これから関係性が始まるというところで連絡を取ること含め、関わることができなくなったのである。

今までの人生、私は本当に好きなことをやってきた。
誰に反対されるでもなく、失敗もあったがそれも含めて自分で選んで生きてきたつもりだった。
しかし今回は、自分が選んでこの人と一緒にいると決めその人生を歩もうとした矢先に、外部要因で連絡が取れなくなり、そこから猛烈な苦しみが始まった。
思いを伝えたくても連絡が取れない。
振られるなら振られるで、100%向かって玉砕するもよしだが、それもできない。
相手が私と一緒にいられないならそれでもいい。でもその気持ちも分からない。

中途半端に期待が残り、他の人のところに行くこともできない。
半面、体は歳を取っていく。
相手もいないのに毎月、月のものは来て子も宿さないまま流れて行く。

31歳と言う年齢のこともあると思うが、尋常でない「焦り」が襲ってくる。
もう今まで十分一人で楽しんできた。ここからは人と一緒に生きて行こうと決めたのに。その矢先だったのに。こんなことをしている場合じゃないのに。
焦りと怒りと悲しみと寂しさと……
全てが相まって悶々とする日々を送っていた。

そんなある日、というか今朝のことなのだが一緒に暮らしている父に相談してみた。
日々の哀しみ、人生を間違えてしまったという後悔、お先真っ暗に感じてしまうと言うこと……
ちなみに私の父は、今は自宅でペンションを営んでいるが、退職するまでは県内のとある精神科病院で30年以上精神科の相談員として働いてきた。つまりカウンセリングのプロである。
そんな父が私の話を聞いて言ったことが、次のことである。
「…………まあ、うつの人なんかには、究極生きてりゃいいんじゃないって言うけどね」
と。
その時、私の中でふわ~~~~~~!っと憑き物が取れた感じがしたのである。

そうだよね。生きてたらいいよね。
挫折感から人や自分を責め、殺したいほど人を恨み、般若になっていた。
そこに「生きてりゃいいさ」と言われると、ふっと軽くなったのである。
思い通りにいかなかっただけである。何も悪いことは起きていない。
恨みも苦しみも、私の気持ちの中に起きているものであって、実際は健康に生きている自分がいる。
そう思った時に、ふと「外国に行くのもいいな」という気持ちが浮かんできたのである。
私は、元来旅が好きだった。まだ見ぬ世界を飛び回り多くのものを吸収する。そういう生活に憧れていた。

この苦しい期間が終わって連絡が取れるようになったら、玉砕して日本をとんずらするのもいいなと。
未来について前向きに考えることができたのは久しぶりのことだった。
ガンガンいこうぜ!と失敗も恐れず飛びまわっていた10代や20代のころから、30代になって「もう失敗できない」と、殻に籠る自分になっていた。
周囲との差ができる焦り、現実と理想のギャップ、湧き出る怒り。
30代ってもしかしたらそういう時期なのかもしれない。
人と比べて焦り、年長者から「焦らなくていい」と言われてもそれでも焦り。
まるで、2回目の思春期のようだ。
その思春期のような焦りの時期を超えて、それぞれの人生が築かれていくのかもしれない。

この時期を超え、私の人生はどうなるのだろうか。
パートナーを得て人と愛し愛される人生を送るだろうか。それとも根無し草で世界を飛び回る生活を送るだろうか。
少なくとも、人を恨んで過去ばかりいじくり回す人生は送りたくないと切に感じる。

今は何を言っても焦る時だ。それを認めて今日も生きよう。
まだまだ、人生長い。
なんでもできる。

              
                【終わり】

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