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リーダーにとって、責任を果たすとは?

責任を果たす”あり方”

「被害者を演じるのではなく、責任を果たす」
先日参加した研修で教わったことば。

何かがうまくいかないとき、人のせい、環境のせい、あるいは自分を責めることで自らを被害者に仕立て上げ、周りに共感と同情を求めるのが、”被害者を演じる”スタンス。

一方で、うまくいかないときに、他人や環境のせいにせず、「何か自分にできることはなかったか」と、自責思考で振り返るのが、”責任を果たす”スタンス。当然リーダーとしては、責任を果たすスタンスであることが望ましい。と教わりました。

研修後、僕は責任を果たすスタンスでいるように心がけています。

そして研修から2ヶ月が経った頃、ふと思いました。
「責任を果たす」って何をすればいいんだ?と。

この研修の意義は“あり方(Be)”であって、“やり方(Do)”の話ではないと講師は話していました。だから、責任を果たす”スタンス”。
ただ、“あり方”と“やり方”は一致していたほうがよいと思います。
そこで、責任を果たすにはどういう言動(Do)をしたらよいのだろうと、考えてみました。


責任を果たす”言動”

最初に思い浮かんだのが、テレビ画面の中で政治家などが発している「責任をとって辞任いたします」という光景。
失敗したら辞めるのが責任を果たすことなのか?

各界の成功者たちは口をそろえて言っています「失敗は成功の種だ」と。たくさん失敗して、失敗から学び、行動を継続することでつかむのが成功なのだとしたら、どうやら「辞める=責任を果たす」ではなさそうです。

リーダーには、「決める」という重要な役割があります。
正解があるようでない問いに対して、AかBか、〇か✕か、いつも難しい決断を迫られます。
問題は、その決断の結果、失敗に終わったときです。

チームが失敗したとき、リーダーがとるべき「責任を果たす」言動とは、いったい何なのでしょう。

失敗をメンバーのせいにする、運が悪かったと言い訳する、自分が悪いと落ち込む・・・これらは被害者を演じるスタンスからくる言動です。

過去の決断に対して自分の間違いを認める。これはできそうです。しかし、それだけで責任を果たしたとは言い切れないような。
過去の判断を変えることはできません。
問題は、失敗した後の「いまのこの状況」をどうするかではないでしょうか。

リーダーの役割は、目標に到達するまでいくつもの判断を繰り返し、チームを目標達成へと導くことです。
つまり一度失敗したとしても、失敗した今の状況で、次の一手を考え、決断することがリーダーにとっての責任を果たす言動なのだと僕は考えます。

こう考えると、リーダーにはチームが失敗した時にウジウジと落ち込んでいる暇などないことがわかります。
今のこの良くない状況を一刻でも早く脱出し、目標達成へと舵を切らなければ、チームはメンバーもろとも沈んでしまうから。


責任を取って辞任します!?

以上の考え方でいくと、同じ責任という言葉を使っていても、辞任という決断は責任を果たす言動とは言えない気がしてきました。
どんな状況からでも目標へと向かうために、次の一手を考えることが責任を果たす言動だとするなら、辞任は、責任を果たせないことを認める(ギブアップ)行為です。「もうこの状況は自分の手には負えません。どなたか引き取ってチームの舵を握ってください」と。
自分の能力を超える責任は果たせないので、ギブアップもときに必要です。
しかしその際には、「責任を取る」ではなく「自分の能力では責任を果たしきれません」が正しい言い方である気がします。


責任を果たし続ける

リーダーは、目標に到達するまでに数えきれないほどの決断をします。
「決めたことを正解にする」なんてカッコいい言葉がありますが、それでも決断をすべて正解にすることは不可能でしょう。
失敗した地点で終わりにせず、失敗を途中経過と捉え、次へ進むための決断をし、先へ向かうのが、責任を果たすリーダーの言動です。
何度失敗しても、目標に到達するまであきらめずに、振り返りと決断を続ける人こそ、真の責任を果たすリーダーなのだと思います。

めでたしめでたし

立崎直樹


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