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もしも願いが叶うなら

自分の悩みってなんだろうと考えても出てこないので、願望から導き出すという考え方で炙り出そうとしてみた。

死ぬまで無条件でずっと幸せにして欲しい

もしも目の前にランプの魔人や神龍シェンロンが現れて、願いを聞かれたらこう言う。

喉から手が出るほど欲しい物、莫大な金、人との繋がりといった物理的なものでは不幸にさえなれど幸せになれない。評価もそうだ。際限が無いからいくらあっても幸せになれない。
芸能人が自殺したり、引退したり適応障害になったりするのがその証拠だ。

そんなわけで僕は貧困で障害があり、親とすら絶縁している孤独レベルだが、いくら金があっても、いくら人脈があっても、いくら名誉があっても、いくら能力があっても容姿があっても幸せにはなれなさそうなのだ。
それはいなくなった芸能人が証明している。

そして条件付けの幸せは、脆い幸せなのだ。
仮にお金があるから幸せだとするなら、逆に言うとお金が無いと不幸だ。
評価されているから幸せなら、評価されていないなら不幸だろう。
仕事があるから幸せならば、失業すれば不幸ということになる。

無条件の幸せが欲しい。

ディストピア小説の《素晴らしいこの世界》にはソーマという精神薬が出てくる。
このソーマ、飲むと嫌なことを忘れて幸せになれるのだ。
酒のように副作用もない。
なので人々はこの薬に溺れ、ディストピアに過ごしているにも関わらず、不平不満を抱かない。
僕はこのソーマが世界を平和にするための薬だと思った。

幸せというのは主観である。

外側から見て幸か不幸かではないのだ。

常にソーマを摂取している状態になりたいのだ。
これならばどんな境遇でも不幸にはならない。

僕は今、不幸を感じている?

少なくとも幸せに対しては疑問を持っている。
「今幸せですか?」
と聞かれたら、首を傾げてから横に振る。それは運良く出世したり、人に恵まれたりしてもだ。

少なくとも幸せな時というのは、《幸せについて》なんて考えていない時だろう。

自覚していないだけで、大分不幸なのかもしれない。
不幸に蓋をしているのだろう。

他者を見た時

他者を見て「あの人不幸だな」と感じる時は、自分の価値観が反射されている。
他者が自分の鏡になっているのだ。
僕はSNSで全くいいねを貰えていない人や、友達がいない人、子供がいない女性、仕事が出来ない男や最低賃金であるスーパーの店員、病で床に伏せる人、目の見えない人は不幸だと思う。
しかし本人からすれば不幸を感じていないということはあるだろう。
自分の価値観が、その人を認識した際に反射して、その人を不幸だと認識しているのだ。

僕が子供の頃は、誰を見ても不幸そうだとは思わなかった。というか人に興味がなかったのかもしれない。
しかし価値観の反射は起こっていないのは確かだ。
自分の価値観が勝手にその人を不幸にしているのだ。

幼少期にマツコ・デラックスの幸せトークなどを見ても、ただ激しい感情が伝わってくるだけで、何も思わなかったと思う。

不幸も刷り込まれている?

大人になってからは、人の不幸に共感できるようになった。マツコ・デラックスの悩みも分かる。お金を稼いでも幸せにならないと本人は言っているが、それも分かる。他者を介在させない幸せが真の幸せというのも分かる。

分かってしまう自分がいる

マツコの話を聞いて幼少期の自分のように「?」となる人は幸せだ。

他者を見た時に「この人不幸だな」と思うことがない人は幸せだ。

うつ病患者は世界が灰色に見えるらしい。つまり周りの人間が全部不幸に見えるということだ。これは本人のネガティブな価値観がそう見せているのだろう。

しかし僕の不幸は最初から持っていたものではない。
おそらく他者から刷り込まれたものなのだ。
「ホームレスは可哀想」
「ニートは社会不適合者」
「孤独死は寂しい」
言語や常識をいつの間にか学習しているように、幸不幸の基準も学習している。
その結果それまでは見ても何も思わなかった対象に、幸不幸や優劣の認定をしだす。
それは自分自身にも及び、その状態を避けようとする。
「独身は寂しい」という価値観に感化されて、独身の自分を不幸だと認定する。
同時に独身の他人も不幸だと認定する。不幸に見えるだけで、他人自身は何も感じていなかったとしてもだ。

学歴、金、結婚…これらの幸せは他者が考えた幸せだ。
自分に当てはまるかどうかは分からない。《そう思い込んでいるだけ》という人があまりに多いと思う。
だから他者から祝福されても「なんか違う」と思う。

結局これらの考察も結局自分がそう認識しているから反射で他人がそう見えているのかもしれないが。
芸能人が自殺するのも、幸不幸の問題ではなく、僕らには全く考えの及ばない理由かもしれないし。脳に寄生虫が入ったとか、悪霊に取り憑かれたとか…。

苦手は刷り込まれない?

応援

僕は応援されるのが苦手だ。
プレッシャーになるのだ。
スポーツなどで、自分が選手として試合をしている時に「勝てー!」とか「頑張れー」などを言われると、緊張する。
応援されるというより、期待されるのが苦手なのかもしれない。
応援するというのは、期待しているということだ。
「勝て。分かってるな?」という圧を感じるのだ。
人からの期待というのは、圧力なのだ。それが集団になれば同調圧力だ。
テニスの大坂なおみ選手はうつ病になったが、僕も同じ立場になると、プレッシャーでうつ病になる。大坂選手がプレッシャーでうつ病を発症したのかは分からないが。
だから応援するという気持ちはイマイチよく分からない。
応援の効果なんてないと…むしろ逆効果だと思うからだ。
スポーツ観戦の良さも分からない。

結婚式

結婚式も苦手だ。
経験は無いが、想像しただけで嫌だ。
何がいいのか分からない。
友人達の貴重な時間を奪い、3万円を払わせる。そしてキスを見せつける。
親や友人に、好きな人とキスをしている所なんて見られたくない。

思えば参観日や卒業式も親に来てもらうのは苦手だった。
自己肯定感が低いのだろうか。

とにかく一生分のソーマを飲みたい。

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