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短編小説「わすれな草」

元橋香澄は、大学に入学して半年が経とうとしていたが、ほとんど友達がいなかった。
元来、集団行動が苦手で、一人でいる事を好む性格なのもあり、試しに写真が好きだったので写真サークルに入ったものの、写真撮影会後の飲み会が全く楽しめず、すぐ辞めてしまった。

同じクラスに、森井誠という青年がいた。
彼もどうやら友達がいないようで、昼食等を学生食堂でいつも一人で食べていた。

ある日、英語のクラスで、森井と隣の席になった。
その日、香澄は教科書を忘れてしまっていた。
香澄は森井に、教科書を見せてくれないかと言うと、森井は無言で教科書を見せてくれた。

授業が終わり、昼食の時間になった。
学生食堂に行くと、いつものように森井は一人で昼食を食べていた。
香澄は昼食を買うと、森井の隣の席に座った。
「さっきはありがとう」
「・・・」
「隣、いい?」
森井は無言でうなずいた。

香澄も元々お喋りな方ではない。
何を話そうかと考えながら、無言の時間が過ぎた。
「森井くん、大学、楽しい?」
聞いてから、しまったと思った。
森井は答えなかった。
「サークルとか入らないの?」
「・・・入らない。面白くないから」
「あ、私も。サークル面白くないよね」
「飲んで騒いで。くだらないよ」
「あ、分かる。私も飲み会のノリ苦手なんだ」
「一人暮らし?」
「そうだよ」
「家では何してるの?」
「・・・・小説書いてる」
「へー!小説!すごいね!小説好きなの?」
「・・・僕、小説家になりたいんだ」
「あ、そうなの?すごいね!どんな小説書いているの?」
「・・・・」
「あ、いや、いいの、言いたくないなら」
「・・・」
「なんか賞に応募するの?」
「今度角談社新人文学賞に応募する」
「へー!そうなんだ!すごいね!」
「・・・・」
「受賞できるといいね!」
森井は無言でうなずいた。

それから、香澄と森井はたまに一緒に昼食を食べるようになった。
森井が好きな小説家は車谷長吉や西村賢太、村上春樹や吉田篤弘だった。
最初はほとんどしゃべらなかった森井も、徐々に色んな事をしゃべってくれるようになった。
静岡県出身で、今は西荻窪に一人で暮らしている事、登録制派遣のアルバイトをしていて、工事現場の足場に付いているセメントをこそぎ落とす現場によく行っている事等、色々な事を話した。
どうやら、森井が書いている小説は、そのアルバイトをモチーフにしているらしい。

徐々に学校外でも会うようになった。
3月のある日、二人で多摩川沿いを散歩していた。
河川敷に、わすれな草が咲いていた。
香澄はカメラを持って来ていたので、花の写真を撮った。
「私、この花好きなんだ。わすれな草って言うんだけど」
「あ、そうなんだ」
「綺麗で可愛いでしょう」
「そうだね」
「私、両親が離婚してるって言ったじゃない?お父さんがまだいた頃、私の誕生日になると、この花の花束をプレゼントしてくれたの」
「・・・」
「森井くんは、私とずっと友達でいてね」
「元橋さん」
「ん?」
「僕と・・・」
「・・・」
「僕と・・・その・・・」
「・・・・」
「・・・いや・・・何でもない・・・」
「え」
「・・・」
「何?何を言おうとしたの?」
「いや・・・その・・・」
「・・・」
「僕・・・」
森井は突然、しょっていたリュックからノートと鉛筆を出した。
そこに何かを書いている。
それを見せられた。
『僕と付き合ってくれませんか」
と書かれていた。
香澄は、笑ってうなずいた。

そうして、春が来た。
森井が応募していた、角談社新人文学賞の結果が出た。
なんと、森井は大賞は逃したものの、奨励賞を受賞した。
単行本化されて、出版されるという。
二人で森井の家でお祝いをした。

それから、森井はあまり大学に来なくなった。
小説の執筆に忙しくて、二人で会える時間も少なくなった。
夜も、えらい小説家の先生との飲み会に行くようになって、二人で食事をとる事も減った。
極め付けは、香澄の誕生日である1月15日を森井が忘れていて、何のプレゼントも、お祝いもなかった。

翌週、森井から久しぶりに連絡があり、二人で晩御飯を一緒に食べる事になった。
「この前吉原寛先生と飲んでさ、終電なくなって朝までゴールデン街で飲んじゃったよ」
「あ、そう」
「何だよ。機嫌悪いね」
「先週の月曜、何の日だったか覚えてない?」
「え、先週の月曜・・・?」
「覚えてないの?」
「・・え、ごめん」
「私の誕生日」
「あ・・・」
「最近飲み会ばっかりで全然会えないし。飲み会嫌いだったじゃん。何よ吉井寛って。誰よ」
「知らないのかよ吉原寛。「悪の門」とかの。大御所だよ」
「知らないわよ」
「・・・・」
「なんか誠変わったよね」
「え、そう?」
「昔はそんな感じじゃなかったもん」
「昔って、出会った頃の事?」
「そう」
「・・・あの頃は、生きてても全然楽しくなかった。苦しいだけで、毎日しんどかった」
「・・・」
「その頃に戻れって事?」
「そうじゃないけど」
「香澄は俺が生き生きしてない方がいいんでしょ」
「そんな事ない」
「俺が根暗で、友達がいなくて、毎日つらかった時の方がいいんでしょ」
「そんな事言ってないじゃない!」
「そう言ってるよ!俺はあの頃になんか戻りたくない!毎日しんどかった。俺の生きている意味って何なのかなってずっと思ってた。今は毎日楽しい。生きがいもある」
「・・・・」
「帰る」
森井は香澄の家を出て行った。
二人分の食事が残った。
香澄の目から涙が溢れて来た。


それからしばらく、森井とは連絡を取らなかった。

そして3月になった。
その日、授業が終わって、香澄は一人暮らしの自宅で料理を作ろうとしていた。
そこに、インターホンが鳴った。
出ると、森井が立っていた。

「・・どうしたの?」
「え、いや・・・」
見ると、手にわすれな草の花束を持っていた。
「いや・・・今日、二人の付き合った記念日だろう?」
「あ・・・」
「この前はごめん。でも、俺、その・・・」
「・・・」
「俺・・・あの・・・」
「・・何よ」と香澄は笑って言った。
「いや・・・俺が・・・香澄ちゃんの事・・・その・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「いや、言えよ!」
「ごめん。これ、花束」
花束に、メッセージカードが付いていた。
そこには『ずっとずっと大好きです。ずっと一緒にいよう』
と書いてあった。
「・・・・」
台所でお湯が沸き始めた。
きれいな三日月が、二人を照らしていた。





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