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社会的知性について考えてみたい

社会的知性とは何か。
これは僕なりの考える定義であるが、体力や知力といったものを除いた人間力のようなもの、すなわち社会的に人とつながり良好な関係を築いたりする力のことである。
決定的な定義をするのは正直難しい。
この定義を考えるに至って、なぜこういうものを考えているのかというと、社会においては偏差値で測れる学力や、スポーツがどれほどできるのかという体力のようなものが存在するが、人と繋がるコミュ力、もっと広義にいうと人とつながり、何かを遂行したり、良好な関係を築き良い人間関係を作り出す力とでもいうだろうか。
そうしたあまり言語化されていない領域があるのではないかと思った。高校までの成績評価では英語、国語、数学、理科、社会、体育、音楽、家庭科等といった科目ごとに評価をするが、そこにコミュ力といった科目がないのはなぜだろうか。
普通に社会で生きていくためには仕事をしたり、友人と楽しく遊んだりする力も大事であるし、人間関係の質が人生の豊かさに大きな影響を与えるという研究結果もあるのになぜ学校などでそうした社会的知性のようなものを測定していないのだろうか。

仮に、あなたが会社の人事だっだとしてどちらを採用したいだろうか。
①東京大学理学部、勉強一筋で休みの日もずっと勉強、友達はおらず帰宅部、コミュニケーションをとるのは苦手でそもそも人と関わりたくない
②青山学院大学法学部、イケメン、野球部、盛り上げ役。いわゆる陽キャラでみんなの中心となるリーダ気質。

もちろん、割と極端な例だが、①だと勉強の能力はずば抜けて高いし、専門的な職業ならこちらが強いだろう。一方、②の人も勉強はそこそこでイケメン、盛り上げ役という点で社会的知性という点では①の人を上回ることができそうだ。
ということは、職種によっては②の方が採用ということも当然出てくる。
コミュ力だけに関わらず、見た目の清潔さや身だしなみ、会話の内容、顔なども社会的知性とも深く関わってくるように思える。なぜなら、人間は割と第一印象で多くのことを判断してしまいがちだ。美男美女であれば、自然と興味をそそられてしまうのは疑うようのない事実だろう。
ミスコンやミスターコンテストなどに入賞すると、履歴書にかけたり、メディアに取り上げてもらったりして、履歴書にこういう強みがありますと書ける。容姿を気にする
なという一般論もそうしたコンテストが開催され、それが強みになる以上、気にするなということも難しいこともある。

そう考えると、社会的知性といっているものは人間が生きて行く上でなかなか大事なものになる。ここまで書いてきて、社会的知性の輪郭が少し見えてきたような気もするが、筆者もまだよくわかっていない。
仮に何か意見あったり、面白そうな話があればぜひコメントに書いてほしいです。
楽しみにしてます。

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