茶道を習っているので、お茶会に行くことが、よくある。大きなお寺とか、神社で行われることが多い。朝から着物を着て、開門前に並んで、開門と同時に走る。走るのだ。老若男女問わずそこは全力で走る。樹木希林さんが茶道の先生を演じられてた「日日是好日」という映画があったが、そこでも、お茶会で一斉に走るシーンがあった。知らない人からみたら、スルーしてしまう場面だったかもしれないけど、私としては一番印象に残っている場面だ。
その日は靖国神社の三軒の茶室で開かれるお茶会に参加するために、しんしんと冷える中、靖国神社に行った。足は速いので今まで負けなしだ。でも、毎回始まる前はドキドキする。転ぶ人も続出する。何を求めてそんなに急ぐのか。そもそも事前に買って持っているチケットでは、参加する茶会は指定されていない。だから、自分の参加したい茶会の受付を早く済ませなくてはならない。上限の人数が決まっているので、人気のあるところや、濃茶のように時間のかかるところに、まず並んで、整理券を取り、他のすいている茶会に参加して待つのだ。スタートダッシュがとても大事なのだ。もちろん、私はこの日も、ぬかりなく希望の茶会の参加券をゲットした。この日も、とてもスムーズに参加出来て、昼過ぎには回りきった。

事前に申し込んだときに遊就館の入場券を貰っていた。中に食べるところもありそうなので入ってみた。濃茶と薄茶2杯にお茶菓子で、結構お腹はいっぱいだったけど、カレーは別腹。なぜかコロッケも付いてくる。着物を汚さないように丁寧に食べる。殆ど人も居ないレストランでゆっくり寛ぐ。

せっかくだしと思って、遊就館の中を見学してみることにした。

結構広い。展示物を丁寧に見ていく。教科書では、そこまで細かく勉強してないので、興味深く見ていく。テストに出ないので、勉強してないというのが正直なところだ。

普段,履き慣れてない草履だったとはいえ、さっき茶会で濡れた石の上も滑らず走れたのに、何も躓くものもない所で、思いっきり尻もちをついた。私の他には人も居なかったので、誰にも見られずに済んだなという安堵とともに、ゆっくり起き上がった。目の前には戦没者のパネルが展示されていた。まさに、私の立った目の前に、祖母の顔があった!びっくりしてパネルを読んでいく。名前は祖母から聞いていた祖母の兄の名前だ。出身地なども符号する。顔は祖母と瓜二つ。ただ、海軍と聞いていたのに、陸軍と書いてあり、東南アジアで戦死している。これは誰だ?

「合っている。」
という声が聞こえた。祖母の兄は優秀な跡取り息子だった。腹違いの妹である祖母をとても可愛がってくれたそうだ。かなり年が離れている。その兄が戦死したせいで家が没落したと嘆いていた。その人なのだろうか。
「合っている。」
とまた聞こえた。
「初めまして、貞子の孫の美緒です。」
と自己紹介する。
「会えて嬉しい。」
と聞こえる。とてもとても懐かしい声だ。私が生まれる前に亡くなっているのだから、会ったことはないはずだ。なのに、懐かしい。
「話がしたかったんだ。また、来てくれるか?」
というので、
「もちろんです。」
と返事する。とはいうものの、今日では話は出来ないのだろうか。それが聞こえたのだろうか。
「桜が咲いたら、また、来てくれないか?」
というので、
「わかりました。」
と返事した。
祖母は、もう亡くなっているので、話を聞くことは出来ない。両親や、伯父さん達に、どこで戦死したのかとか確かめたけど、誰も言葉を濁す。

改めて、祖母から貰った物を整理してみる。着物が殆どで、金目のアクセサリーなどは他の親戚が持っていったので、大したものは無い。仕方がないので、祖母との会話を思い出していく。

祖母とお風呂に入ると、必ず、「ずぼんぼえ」を歌ってくれた。これが何なのか分からない。
「ずぼんぼええ、ずぼんぼえ、さばがわわたると、ずぼんぼええ、さばがわのぼると、ずぼんええ」

その時、話してくれたのは、山口に空海さんという偉い人のお墓がある。空海さんのお寺の高野山を修復するときは山口の木を使う。という話だった。調べてみると、、高野山でなく、東大寺だったが、修復の時に山口の木を使っている。問題は、空海さんの「お墓」だ。山口と言っても、めちゃめちゃ広い。このぼやーっとした情報を頼りに、山口を旅することになる。


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