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JazzからChansonへ(石井好子の謎)

日本のシャンソンの歴史というジグソーパズルを作るならば、高英男、越路吹雪、深緑夏代、芦野宏らとともに欠かせないワンピースが石井好子だろう。パリ祭、石井音楽事務所、日本シャンソン協会などプロモーター/プロデューサーとしての貢献度は一番と言ってよいかもしれない。
そんな偉大なる石井好子だが、私には一つ疑問がある。
どうして彼女はジャズからシャンソンへ転向したのか?
この稿では、その謎に迫りたいと思う。

最初の夫(日向正三)のせいか?

石井好子は、2度結婚している。最初の夫は、アメリカに留学経験のある日向正三で、戦後まもなく森山久(トランペット奏者で森山良子の父)と二人でニュー・パシフィック・オーケストラを結成した。戦争中演奏できなくてウズウズしていたジャズメン22名を集めるのは難しくなかった。ボーカルは妻の石井好子が務めた。
このジャズ・オーケストラには進駐軍から次々にオファーが来るし、NHKラジオで日曜日のゴールデン・アワーにレギュラー出演したりで、滑り出しは順調に見えたのだが、日向は経営者としての能力に乏しく、ずさんな経理をしていたせいで、1年で資金繰りが苦しくなり、解散してしまった。
それで好子はジャズをやめたのかと言えば、そうではない。彼女は早稲田や慶應の学生バンドで歌い、その後スター・ダスターズというバンドで女性ヴォーカル(専属歌手)となった。
結局、日向正三とは結婚5年で離婚した。彼はお坊ちゃん育ちで儲け話に次々にひっかかり、失敗を繰り返し無一文になった上に酒を飲んでは暴れた。それが原因で彼女はNHKに出禁に(出演できなく)なったりした。
大変な旦那さんだったことは事実だが、ジャズを辞める直接のキッカケにはなっていない。別れた後も、歌い続けているのだから。

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