見出し画像

ALSとともに生きた一年

1)病気の告知
今年1月6日私は筋萎縮性側索硬化症(ALS)(指定難病2)という宣告を受けました。その時の感想は自分が長生きできないということ、100歳まで生きるお金の算段をしなくてよくなったということ、ということでした。実際病気に関してはどのような経過をたどるのか、どんな困難があるのか、などネットでさらっと読んだだけでした。本当に楽観的に考えていたと思います。

この病気は、難病センターの説明では、
「筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。」

2)2回の入院
2月の5日間の入院は病気を特定するための検査入院でした。血液検査、髄液検査、神経伝導検査や針筋電図などの電気生理学的検査。辛いと言われているこれらの検査も興味本位で受けていたように思います。それでも筋肉がぴくぴくと動き病魔が自分の体を犯して、筋肉を壊していく感覚を感じていました。この時期は、たくさんのALS患者の書いた本を読みました。自分がこれから経験するであろうことの予習期間でした。前年の10月頃から腕に力が入らないという違和感があったのですが、1回目の入院では、自分で下着が着替えられないという経験を初めてしたのでした。

検査結果の正式な報告は、新型コロナの影響で家族の立ち合いもないままにすべて自分で受け止めました。検査入院が2月になってしまったのは、仕事を一段落つけてから、気持ちでした。今年度の仕事もどうすべきが迷っていましたが、主治医から、自分のために続けた方がいいといわれ、自分も納得して継続を決めました。私は定年後大学で非常勤講師をしていて、100歳まで生きるために、あと4年位は頑張ろうと講義数を増やして頑張っていました。というわけで、医療費は3割負担ですが、後悔はしていました。

退院するとすぐに近くのケアプラザで介護申請。次の日は区役所にいって難病申請の手続き。市のリハビリセンターの方の訪問を受けたり、介護器具の業者さんにお願いして、シャワーチェア・滑り止めマットを持ってきていただいたりと病人なのに忙しい毎日がはじまりました。

3月の初回ラジカット点滴のための入院は、まるで修学旅行でも行くように、すべての持ち物に名前を書いて準備をしました。スーツケースに詰めるのにすでにかなりの困難がありました。15日間の入院では、日に2回のリハビリとラジカット点滴以外は、特に治療の必要のない患者でした。学会の会議に出たり、4月からの準備をしたりと、気軽なものでした。この入院で自分は入浴介護が欠かせなくなっていることや、服の着替えに15分から20分かかることなど、介護の必要を実感したのでした。

退院するぎりぎりまでケアーマネージャーさんはや訪問医や訪問看護、リハビリが決まらず心配でした。何しろこの病気にかかったのも初めて、介護や訪問医療をお願いするのも初めて、、、

3)『死ぬまでにやりたいこと100』
入院中に『死ぬまでにやりたいこと100』のリストを作り、これからの目標を持ちました。
一番大きな行事は、カナダの従姉妹を訪ねること。6月になって海外の旅行が可能になり、何とかカナダの旅行が可能になりました。息子が夏休み使って一緒に行ってくれることに、電動車椅子を持っていく手続き、ArriveCanやMy SOSなど苦戦したり、料金の高さに驚いたり、、、苦労の末、ケベックとトロント旅行は大成功でした。お世話になった旅行代理店の担当の方と帰宅後に手を握って感激と感謝の涙を流しました。

5月にやりたいことの1つ、ピアノのコンクールに出る。という夢を実現しました。幸いなことに11月の本選にも参加でき、「エリーゼのために」の最初の章のみの演奏で、手が固まってうまく弾けませんでした。しかし、観客の方々の温かい拍手と心のこもったメッセージは、私に元気と勇気をくれました。

6月と11月には、合唱の集いに参加することができました。毎週の発声練習や合唱練習、音楽の楽しさは、私の呼吸器状態をこれからも維持してくれる助けになると思っています。

8月には自分で入浴ができなくなり、9月からは、着替えを夫に手伝ってもらうことになりました。新型コロナにかかり、できないことは日々増えていきましたが、10月11月は多くの友人たちと会食を持ち、交友を深めることができました。もっと早く自分の病気を友人に話すべきだったと少し後悔でした。

4)救急車に3回お世話に
5月9月12月と3回救急車にお世話になりました。5月はデパートで前向き倒れ合計18針、9月には大学で後ろ向きに倒れ8針。12月は階段の途中で倒れ、」救急隊員に救出されるという始末。私の場合は、「手指の使いにくさや肘から先の筋肉がやせ、力が弱くなる」症状から始まっているので、転ぶとき手で支えることができず、頭で受けてしまうことになります。お医者さんには、「よく転ぶね!」と言われます。10月からは、杖を常用することにしました。

6月から毎日ずっとメールをやり取りしてくれている友人。クリスマスの丸ごとチキンローストを持ってきてくれた友人、大学時代のワンゲルの仲間たち、大学のクラスの仲間たち、初めての職場の仲間たち、介護や訪問医療の方たち、多くの方が私を支えてくれています。近くで常に支えてくれる夫と家族への感謝を忘れてはいけないと思っています。

食事に特別な器具が必要になりました。階段が上れなくなって自室を諦めることになりました。みんなのトイレの常用者になりました。2回治験に断られました。
おいしいものが食べられます。歌を歌えます。たくさんおしゃべりができます。電動車椅子で電車にのって出かけられます。生き甲斐である教育にももう1年やり続けようと思っています。

そう、Stay hungry. Stay foolish! の精神でもっともっと可能性を考えていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?