見出し画像

ショッピングモール 担当:寺橋佳央

改札口へ向かうと、甘い香りが漂ってきた。美味しそうな甘い香り。何の香りだろう。
甘い香りを嗅ぎながら改札を抜け、出口へ向かうと朝の光に照らされたショッピングモールが見えてくる。ショッピングモールの広場には消防車が停まっている。少し不安な気持ちで広場を覗き込むと、どうやら防災訓練の準備をしているようだった。消防車の周りではしゃぐ子供たち。そして甘い香り。私はこの街は良い街だなと思った。

これは、私がショッピングモールを駅前の風景として受け入れた瞬間だった。

私はコンドーム自販機を撮影するという、珍妙な趣味を持っている。コンドーム自販機を求めて、あらゆる住宅街に行く。「ぶらり途中下車の旅」でも「アド街ック天国」でも扱わない、正真正銘、あなたの街へ行く。
私の移動手段は電車がメイン。駅前が賑やかだとワクワクする。だけど寂しい駅前も沢山ある。電車よりも車が街の人々の足となっている場合は、駅前が寂しくなりがちだ。私は寂しいけれど、街に住む人々の利便性の方が重要。国道沿いが栄え、そこにショッピングモールがあった方が良いのだ。

今から5年くらい前だろうか、地方が「イオンモールしかない街」と表現された事があった。この表現には様々な批判と地方の現状が含まれている。
再開発への批判、画一的なまちづくりへの批判、大手企業への批判、地域コミュニティの無視、地方の経済力の衰え、若者の流出、私が思い浮かべられるのはこのくらいだろうか。
SNSでは「企業、行政vs人情」が好まれる。道路拡張で昔ながらの店が閉店になって可哀想とか、ショッピングモールのせいで地元の商店街が寂れて気の毒とか。それは事実だけど、それが全てではない。だけどモヤモヤする。便利なショッピングモールで買い物をしながら、私はずっと、ずっと「ショッピングモールしかない街」という言葉を考え続けてきた。

私達が思う賑やかな駅前は、商店街がある駅前だろう。しかも個人商店がたくさん並ぶ商店街の方が良い。いらっしゃいませと通りに響く店主の声、買い物する親子連れの声、様々な声が商店街を彩る。
そんな商店街はテレビでもよく取り上げられ、レポーターの芸人の賑やかさも手伝って、余計にその商店街が賑やかに感じる。そんな映像を沢山見てきたせいか、商店街がある駅前が良い駅前で、そして良い街だと思うようになってしまった。

「イオンモールしかない街」の表現に私がマイナスな気持ちを持つのは、イオンモールの様な巨大なショッピングモールが、食物連鎖のピラミッドの頂点の様にして街に君臨しているとイメージしてしまうからだ。このピラミッドの下には、以前にあった商店街や老舗の個人商店があり、最下層はその街に住む人々がいる。
ショッピングモールは便利だが、ショッピングモールしかない街は、娯楽も職場もショッピングモールしか選択肢かない街になってしまうのではないか。人々は思考停止し、まるでショッピングモールを中心にして回り続ける星のよう。私はそれを勝手に想像し、勝手に悲観していた。

冒頭の朝のショッピングモールに話を戻そう。私があのショッピングモールを駅前の風景として認知したポイントは「防災訓練」だ。これは街の自治の場にショッピングモールを利用し、ショッピングモールが街の人々を繋ぐハブになっていた風景だ。
また、駅前の賑わいと言えば商店街と思っていた私も、商店街の代わりにショッピングモールから響く賑やかな「声」が、新たな駅前の風景だと私に認知させた。

「イオンモールしかない街」の言葉を聞いた頃はあらゆる県に大型ショッピングモールが出来て一段落した頃で、新たなショッピングモールの建設の速度は落ちていた。それからショッピングモールと歩んだ街は、私が知らぬ間に、ピラミッドの頂点にショッピングモールを据えるのではなく、ショッピングモールと街の人々が並列に並ぶ関係に変化していたのだろう。ショッピングモールが街の自治の場になるまで、街の人々も、ショッピングモールの人々もきっと何度も話し合いの場を設けてきたはずだ。

SNSの論争は無責任で、自分達が望む方向の炎上を好む。また炎上後の姿も分からない。私はイオンモールしかない街をただ通り過ぎるだけの無責任な存在。それなのに良い街に出会いたいと無責任に願ってしまう。だけど通り過ぎるだけの私にも「良い街」と思える街は、きっと魅力的な街なのではないか。ショッピングモールと街の繋がりを見た私は、この風景を大切に思いたいのだ。

甘い香りの正体は、パン屋から香るシナモンシュガーだった。甘さの中にスパイシーさもある香り。私がコンドーム自販機を撮影し終えて、再び駅に戻ってきた頃、まもなく防災訓練が始まろうとしていた。

========

*しりとり手帖の説明についてはこちらからどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?