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評価の外で書くということ

踊り子は舞う、田舎町の舗装されない土の道の上で。
一心不乱に、しかし楽しそうに。

歴史物のラストシーンである。

何年も前に一時はまって観たものの、物語の全体は覚えていない。しかし、その最終回は強く印象に残っている。少女の時代から踊り子として貴族相手に舞を魅せるための厳しい訓練、幾度となく訪れる苦境、成長の機会、出会いと別れ、恋。
彼女はすべてを失っても、踊るのだ。
踊りたいという思いを、誰も奪うことはできない。その舞に、人々は酔いしれる。見る者の、身分を問わず。


踊る。歩くように当たり前に、だが、もっと意志を持って。
微笑む。呼吸するように自然に、だが、もっと情を含んで。
蝶のようにふわりと。
辺りの空気を色付かせるステップ。
登りつめたのち、役人や貴族の前で披露するのと全く変わらない。彼女の舞。
見ているのが誰であっても、ただ踊っていたいのだ。
踊らずには、いられない。


ものを書くときに、雑念が入ることがある。
そうして書き上げたものを見たときに、命を粗末にしたのと似た感覚を得る。
食べ物を雑に扱ってしまったとき、人に対しては配慮を欠いたとき、みな似ている。
文字は生命を持ち、発した人の思いを預かり、人に届ける。
手を抜いた分、その精度は下がる。
含みを持たせすぎると、その重みに耐えられずに底が破れる。
なんの願いも乗せずに飛ばせば、あまりに軽薄に宙に消える。
忠実に、実に精密にチューニングする必要がある。


完全なる一致。


それだけが仕事だ。

読み手の胸のうちに同調してはならない。
評価や反応を先取りして媚びてはならない。

するすると、指先から溢れるように文字が流れるからそういうことはあまり起きない。
しかし、ときおり油断するのだ。身体の弱り目、時間から時間へとバトンを渡す逢魔が時。
隙間からはらりと忍び込む甘えん坊の卑しい亡霊に、
明け渡してはならない。
護りのためのすべてはまじない。
言霊を扱うときには全神経を集中するのだ。

相反するが、力むとたいていズレが生じる。
それ相当の行き違いだから、振り返って掴もうとしても光の速度でそれは逃げ行く。
力点を置いて錨を降ろしたら、そこからあとは天命を待つ鷹揚さが助く。
訓練だ、やはり踊り子と違わずに。
気の遠くなるような、鍛錬だ。

感じ取っているもの、それを留めた胸の奥の収納箱。
混沌として、それでいて整然といつもそこに溜まっていく感情と事実と色と形と香りと、すべての事象。
それと、この文字は一致しているのか。
精査する、つねに。
美しい情景も、統制し難い想いも、過去も未来も、人も星も、表現して紙面に画面に収められるという傲慢な勘違いも。
文字にした先からはじまる検閲。
ズレは即座に修正する。
修正の修正で、当初の発端を忘れかける。

思い起こして、記憶の海から掴んだをそれを再び手にして収納箱へ運ぶ途中、
こぼれ落ちる欠片を集めて歌詞にする。
世界から感じた鮮やかさ、生きるものの発する光を拾い集めて文字にする。
その一文字が新しく世界を作る。

願えば叶ってしまうから、願い事はくれぐれもていねいに。
きれいなものを視界に入れて、豊かな世界を創るのだ。
訪れた者の呼吸を楽にする、軽快で自由な物語を。
新鮮な食材を集めて、美味なる食事をこしらえるように。

うまくいくときはみんな似ている。

自由な舞、舌鼓打つ料理、居心地のいいストーリー。

記憶はみな体感。
呼吸も忘れて深く深く潜ったあとの、飛翔。
果てしなく広がる青空、気流に乗って群島を見降ろして。



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