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モンスターの左手 【後編】

摩訶不思議な紋様と、見たこともない文字と出会った。
いつものカフェの、いつもの席で。
ノートパソコンの持ち主もまた、奇妙な印象を撒いていた。

私の視線に気づき、青年は警戒しているように見えた。
重すぎない謝罪と注目の理由を胸に思った。
通じたように感じたのち、どちらからともなく言葉を交わした。

どこが、とはうまく言えないが彼は人の姿を借りた異界の生物のようだった。
しかし、巷の人々や血縁以上に近しいものを強く感じた。
きっと、前世で親しい間がらだったに違いない。

彼の描く奥行きのある世界に、激しく引き込まれた。
彼の書く熱と香りの漂う空間に、優しく包まれた。
彼自身の存在を遥かに超えたスケールで、別の次元に飲み込まれた。

駅前の喫茶店で、夕刻の河川敷で、水平線を望む堤防で、以前よりも濃い大気を吸い込む。
アイスティーの溶けかけた氷に、聴き倒したディスクの小さな傷に、待ち受け画面の景色に吹く暖かい風に、懐かしい新しさと還るべき世界を想う。

足元の付箋を拾い、差し出した時に触れたその人の左手。
親指の曲線から伝わる凄まじい生命力と、所在なさと、恐怖心。
私の右手の人差し指はそれらを受け入れ、循環させ、左手の親指から放出する。

拒絶反応なしの化学結合。
エネルギーは物質化する。
比喩に似てシュールな気配に包まれる。
本質が交わり、混ざり合い、色に音に豊かさが溢れる。
洞窟のような部屋の、護り。
壁画に描かれたみたいな、我ら。

言葉で渡されたときの、控えめな笑顔。
静かな反応の、リアリティと重厚さ。
「そうかもしれないね」の肯定的な破壊力に心身を委ね、夜空に浮かぶ。
高いところから、朝陽の前兆をひと舐めして夢に堕ちる。
おやすみ、わたし。おはよう、きみ。


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