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さよなら、ナショナルのコンロ。

長過ぎた夏がようやく終わりを告げたと思ったら、うかうかしている間にカレンダーはものすごい速さでめくれていって、秋が飛び去るように過ぎてゆき、足早に冬が来たと思うと年が暮れ、予想だにしない大災害から新たな一年が始まった。

暦の上ではもう春だというから驚き。両手の中に収まるぐらいの、ささやかだけれど大切なものをなんとか守って、日々を暮らしています。

春というとやっぱり、別れと出会いの季節ですよね。大事な人との悲しい別れは今のところ幸い訪れてはいないけれど、ちょうどそういうサイクルにさしかかっているのか、身の回りの愛用品がポツポツと壊れて買い替えるはめになっています。こないだもスマホ(iPhone8)がある朝突然うんともすんとも言わなくなり、しぶしぶジーニアスバーに持っていって診断してもらったところ、ハードウェアの寿命と言われ、機種変更を余儀なくされたり。

別にスマホぐらいなら感傷に浸ったりするほどのことではないんだけれど、長年つきあってきたガスコンロとお別れすることになったのは、何か個人的にひとつの時代の終わりのような気がして、こうしてここに書き留めておこうと思った次第です。

引っ越してきたときからの仲。

今どき珍しいナショナル製。

現在の賃貸マンションも気がつけば10年以上住んでいることになる。独り暮らしの部屋に彼女(現在の妻)が転がり込んできて手狭になり、近くでもっと広い部屋を探していたときのこと。ふたりで散歩していたときに見つけた「こんな部屋に住みたいね」というレンガふうの外壁のマンション。4階の南東向き角部屋が空いているのを知って大急ぎで契約し、12月の下旬に引っ越した。それまで住んでいたところとは道を挟んで斜め向かい程度の距離だったから、年の暮れにまるで夜逃げみたいに、二人でコロコロ台車を押して引っ越した。

そのときに写真のガスコンロが備わっていて「わー、システムキッチン! 3口のガスコンロ!」と胸を躍らせたのを憶えている。何せそれまではIHですらない、いわゆる電熱コンロが一口だけの手狭な、名ばかりのキッチンだったものだから、毎日の二人の食卓はまるでままごとのようだった。それがにわかに一丁前の大人になれた気がして、少しくすぐったくもあった。

そして、ある年のたしか初夏のこと。このキッチンでまな板に向かいながら、妻に「そろそろ結婚する?」と訊いた。彼女はすんなり受け容れてくれて、それで今も一緒に暮らしている。

それから数えきれないぐらいの食事をこのコンロで作ってきた。新しいレシピが上手くいって悦に入ることもあれば、いつもの一皿が上手くできず凹むこともあった。

次第にぼんやりしてきたコンロ。

この五徳と受け皿のスタイルが今思えばいかにも「昭和」でした。
主に妻がやってくれたけど、掃除が面倒でした。

毎日使っていくうちに、人間で言えば耄碌してきたのか、コンロのつきが悪くなってきた。電池を換えてもなかなか点火しない。点いたと思ってもすぐ消えたり、とろ火にした途端消えたり。

いいかげん手を焼いていたところに、キッチンの建具がちゃんと閉まらなくなったり、水道の根元の水漏れが止まらなくなったりというマイナーな不具合が重なってきて、管理会社に相談したところ、まとめて交換修理の手筈が整った。

管理会社とそんなやりとりをしたのが去年の暮れの話。2月に入ってようやく工事が終わり、扉はきっちり閉まり、水漏れはしなくなり、そしてコンロも新調された。

新しいコンロはリンナイ製。ホーローのフラットトップで手入れも簡単。もちろんSiセンサーも完備。スイッチを一回押しただけで確実に着火して、とろ火の安定感も抜群。強火にしたときの火力も先代を遥かに凌駕するもの。

そこで、記念にというわけでもないけれど最初に料理したのが、タイトル写真にあるハンバーグ。粉吹き芋やブロッコリーも茹で、芽キャベツも焼いた。ただコンロが変わったというだけなのに、何もかもスムーズで焼き上がりのコントロールも楽ちん、プラシボ効果なんだろうけど、少しおいしさが増した気さえした。

一応もう一回載せておきます。

新しい出会いがあるから生きていける。

賃貸なので借り物で、自分のものではないけれど、長く使ってきたコンロには嫌でも愛着が湧いていた。今どきナショナル製というレトロさも、一周回って他にない取り柄のような気さえした。長旅を共にしてきた仲間のようなもので、実のところいなくなるのは少しさみしくなるなと思っていた。

妻にもそんな心情を話したところ「わたしはちっともさみしくない。せいせいする」と言った。こういうとき彼女は強い。多くをここで書くのはやめておくけど、僕より別れに慣れているのだ。タフだ。

でも僕は別れに弱い。変化も好きじゃない。現状維持が大好きで、今回のこの変化をどう乗り越えていけるか、内心少し不安でもあった。

しかし長く生きているといろいろ鈍感になるのか、案外あっけなく慣れてしまった。何なら別れのさみしさよりも出会いの嬉しさが優った。新しくやってきたコンロが、たぶん世間的には全然珍しくも凄くもないんだろうけどとてつもなく便利で使いやすくて、いささかQOLも上がった気がして、正直テンションが上がってしまったのだ。

「あんなにさみしがってたのに〜」と妻は僕を笑った。

でもたぶんきっと、これがただの喪失じゃないから、よりよい出会いが約束されていたから、へこたれずにいれたんだろうな。失ったものが補われたから。また出会えたから。

歳を重ねると、相手が人にせよモノにせよ、これから出会える機会は相対的に減っていく。この身体自体がそもそも、使える時間が限られている。何かと共にいた時間の長さを、次に出会う何かが超えることも、次第になくなってゆく。

そんな中でせいぜい新しい出会いを歓迎し、増えてゆく別れにつまずくことなく、これからも静かに穏やかに暮らしていきたいと思う。




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