産後1年で18キロ痩せた理由

はじめに

これはダイエット記事ではなく、痩せる秘訣や特別な方法を探している人には参考にならない。

痩せたい人じゃなくて妊娠中の人やその配偶者に読んでもらいたくて書いた。

同じような経験をして欲しくない願いや産後のパートナーのダメージを想像して支えてくれる人が少しでも増えてほしい。

出産直前66kgあった。

太り過ぎというわけではなく普通に臨月を迎えるにあたって胎児や羊水を含めてそれだけの重みになっていった。

腰や膝が痛い、自分の重みで身体中が軋んでいた。動くのも億劫でソファーと一体化したいけど出産が近づくにつれて運動をして子宮口を広げておくように助産師からアドバイスを受けていた。

同時に「余計な体重が1kg増えるたびに陣痛が1時間延びると思っていてね」と笑顔で脅されといた。

迎えた出産、初産で母子手帳に記載された陣痛時間は22時間だった。10分感覚になってからほぼ1日かかって産むことが出来た。一言で言えば死ぬかと思った。

滅茶苦茶痛いのに6cmからの開きが急に悪くなった。そこからは疲れと眠気で意識朦朧だった。痛みで無理矢理起こされて気絶するように眠るの繰り返しだった。陣痛が来る度に甲子園のクライマックスのようなテンションで叫び声を上げていた。

結構頑張ってウォーキングしてたのになぁ…お菓子も食べないで…体重管理してたのになぁ…お願いだからこの痛みから早く解放して…と神にすがっていた。

出す瞬間より産道が広がる過程で痛いことを知った。それでも何とか我が子をこの世に産み落とした。

カンガルーケア

産まれてからすぐ胎盤を出したり、裂けた箇所を縫ってもらったり私に対する処置をしてもらった。その間赤ちゃんは体重を測ったり口の中に残った羊水を吸引したりしてもらっていた、そうしてようやく産声を上げた。

想像していたよりずっと力強く高い声で泣いていた。オギャー!というよりは、ホニャァ…キャァー!!という感じ。

そしてカンガルーケアで我が子を胸の上に抱いた。ヌルッとしていてあたたかい。ついさっきまでずっとお腹の中で動いていた命を五感で感じた。羊水で浸かっていた我が子の肌は少しなまぐさい。けど甘いようないい匂いがした。

目はほとんど開いていないのに母乳を飲もうと探していた。生きる力が強い。私は産後処置として点滴を受けながら我が子はそのまま初乳を飲んだ。

出産した翌朝の衝撃

そして翌朝診察を受けてそのついでに体重を測った。65kgだった。

なぜ?!

子は3キロ、羊水や胎盤も同じくらいの重さがあったはず…。なぜ、ほとんど減ってない?

異常に浮腫んだ足が余計な水分を溜め込んでいるのを象徴していた。指で押せば跡がくっきりと残った。産後にはよくあることらしい。

後陣痛といって子宮が元通りになろうとする痛みがずっとあった。痛み止めは気休め程度にしか効かない。我が子が泣くたびに起き上がるのが修行のようだった。

休まなければならないと言われている時期は母乳を出すための訓練期間でもあるのだ。吸わさないと母乳は作れない。

母乳推奨の産院だったため水分をしっかり摂るように指導された。ウォーターサーバーが設置されていてそれをガンガン飲んだ。その甲斐あってか母乳育児はすぐに軌道にのった。

3ヶ月間の自宅軟禁生活

私は完全母乳にこだわることなく私が寝ている時はミルクを飲むようにしようと配偶者と決めていた。自分が休む時間がないのは辛いものだと分かりきっていたから対策を立てていた。里帰り出産をしないことで夫婦間の協力体制はより強くなったと思う。

それでもノンストップの育児は辛かった。慢性的な寝不足はすべての不調の原因になっていった。

1ヶ月検診を過ぎても悪露は続いていてなかなか体調が戻らなかった。身体も痛いし休めない。自分の体型なんて気にしていなかった。

Amazon primeで無料映画を観ながらひたすら横になっていた。日用品や食料は宅配に依存していた。

ほんの少しだけ余裕が出来てきたのは赤ちゃんの首がすわった頃だった。4ヶ月くらいだった。配偶者に赤ちゃんの面倒を見てもらっている間ショッピングモールで気分転換してきた。

外の空気に触れる

数ヶ月ぶりに飲むフラペチーノはこの世で一番美味しかった。そのフラペチーノを持ったままウロウロしているとネイルサロンが待ち時間なしと勧誘していた。

そのまま流れるように引き込まれていった。実は一度もジェルネイルをしたことのない爪を丁寧に手入れしてもらった。

爪切りではなくてヤスリで長さを調整することを知った。そして色を乗せる時間よりも手入れの時間が圧倒的に長かった。

甘皮の手入れまでしてもらい短めのジェルネイルにアートもしてもらって相当テンションが上がった。来月の予約もして帰宅した。そしてネイルサロンに通う人は自分で爪を切らない事を知った。

自分のために使う時間を久しぶりに過ごしてとてもリフレッシュ出来た。

伸びてきた時に自分で爪が切れないことは難点だったけど、その不便さを上回る気分の良さがあった。ネイルを綺麗なまま維持したくてゴム手袋で洗い物をするようになったし、なぜか自然と配偶者に優しく接することが出来た。母親以外の自分を一瞬でも取り戻せたことが嬉しかった。

今、生きていくために必要のない事をする

今まで職業柄ネイルは出来なかった。それでも自分で塗ってくる職員がいた。注意するたびに安っぽくて汚い爪だと思っていた。

それに子供の頃から母親がマニキュアが嫌いだと何度も聞かされて幼い頃からマニキュアをしてはいけないという呪いにかかっていた。

呪いも解けるくらいジェルネイルは高級感があってその美しさの虜になった。

生活に変化が現れた

今まで何も考えずに食べていたものを食べようとすると爪が目に入って、その手を止めれるようになった。

何をするにも爪が目に入ってその度にあの高揚感を思い出す。オムツを変える時もミルクを作る時も授乳する時も。あと、その直前に行った美容院では金髪になっていた。

自分の見た目を客観視する

ずっと避けていた体重計に乗るようになった。そして現実を受け止めていった。たるんだ皮はなかなか戻らない。加えて尻も四角く垂れている。10ヶ月間ほとんどお腹に力を入れてはいけない生活で腹筋は衰えた。姿勢を伸ばそうとしても猫背っぽい。

子を抱っこ紐で抱っこして動けるようになってからは積極的に散歩に出かけた。働いている時には目に入らなかった世界にいた。公園でブランコに乗って揺られたり風になびく葉っぱを見て穏やかな時間過ごしていた。

時々、支援センターにも行って他の赤ちゃんも見ていた。今思えばまだ寝返りがやっとの時期に行くこと自体無理をしている気がする

集団で遊ぶ意味もいまいち分からない時期だけど、ずっと家に引き籠もっていることに無性に焦っていた。子を保育園預けて働かねばいけないという気持ちは強迫観念に近かった。支援センターはその下見感覚で行っていた。

振り返って思うと、この頃からじわじわと精神的な変調が迫っていた。

自分自身のテンションを無理矢理あげて頑張ることは命の前借り

おしゃれや身だしなみで気分を上げて頑張ることは悪いことではない。だけどそれだけで頑張るには限界がある。

私は産後7ヶ月で訪れた。突然、外出が出来ないくらいの不安感と吐き気に襲われてしまった。そしてみるみる食欲が落ちた。子どもの離乳食と同じ量くらいしか摂取出来なくなってしまった。あっという間に40kg台に落ちた。ちなみに身長は160cmだ。

以前通院していた精神科へ

まずは産婦人科へ受診した。授乳に影響のない漢方薬で様子を見ることになった。しかしこれがほとんど効かなかった。やっとの思いで産婦人科へ行って帰ってくる頃にはヘトヘトだった。

つわりの時のような吐き気が常にあった。待合室でも座って待ってられないくらいに身体は弱っていた。

いよいよ限界になった時に精神科へ電話して相談した。以前お世話になった相談員と話をして受診することになった。そして出産経験のある女性の医師に診察してもらうことになった。

母乳育児を諦めて抗うつ剤を飲むことになった

7ヶ月で強制的に断乳することになった。精神安定剤も服用することになり母乳育児は諦めて、完全ミルクに切り替える事になった。

女性の医師は「お母さんの体調の安定は赤ちゃんが健やかに育つ、ここで無理して抗うつ剤に頼らずやり過ごしても多分近いうちに無理が来てしまうよ。今までよく頑張ったね。」「誰にでも起こりうる普通のこと」と言ってくれた。

そう言われてようやく母乳を諦めることができた。幸い子もミルクをすんなり受け入れてくれて母乳に執着しなかった。その後すぐに離乳食をもりもり食べるようになり、すくすく成長している。食べる事に関しては苦労が少ない子で良かったと思う。

徐々に回復していった

しばらくは副作用で苦しみながらも家の近くで買い物したり、以前のように散歩したり出来るようになった。近場からだんだん距離を伸ばしていった。

体調の悪い日は無理をしないことにして、しっかりと休息をとることを心掛けた。

そして現在の体重は48kgで安定している。もちろん普通に食事を摂っている。体脂肪率もしっかり減った。ゆっくりと長時間、散歩をしながら寝かしつけることをし始めてからは筋肉もついていった。日光を浴びることも気持ちいい。

もっと早くから周囲を頼ればよかった

配偶者以外に近距離に義両親がいる。どう頼っていいのか分からずいまいち距離をつかみきれていない。しかも私の実家は遠距離だ。

その他にも支援センター併設の保健センターの保健師に話を聞いてもらったりした。子の身長と体重を測りに行きついでに身内以外と話したことで気分は晴れやかになった。

配偶者とその家族以外に話せる人がいない環境は息苦しくなる時がある。子育ての孤独感よりも閉塞感に窒息しそうだった。

他にも市の育児支援の電話センターにかけたことがあった。その電話でもう一度精神科へ受診しようと決心した。

家族以外にもたくさん頼れる場所や資源があるのだ
本当は産後ヘルパーを利用したりベビーシッターを気軽に使えたらと思う。高齢者が介護保険では掃除や料理をヘルパーで利用できるのに、お母さんになった女性には本当に冷たい。育児は出来て当たり前で、出来ない部分は家族で支えるのが当たり前と思われている。

ヘルパー利用などまだまだ敷居が高いのが現状だ。核家族化が進んでいるわりに育児は母親が多くの役割を担っている、色々と責任を押しつけられる。時々手伝ってもらうことすら叶わないのが大半だと思う。

夫婦関係は?父親としての役割

だからせめて配偶者には協力的かつ絶対的な味方であってもらいたい。特に義実家とのやりとりは間に入ってほしい。

まだ産後1年だけど子ども中心の生活は夫婦関係も大きく変えた。あまり察する力がない配偶者に具体的に言葉で伝えられるようになった。そして言われた事は嫌な顔せず役割を果たそうと頑張ってくれている。

配偶者が言うには何をしたら分からないのが苦痛だと言っていた。良かれと思ってやった事が裏目に出るのが嫌で行動出来ないらしい、指示された事は頑張るからそこは評価してほしいと言っている。

指示待ちより積極的に動いて欲しいと思っていた時期もあった、けれど配偶者の考えは違っていた。むしろあれこれ言われて動いてもらうことに罪悪感を抱いていた私にとっては話し合いで明確になってよかったことだ。

子どもが成長するにしたがって育児の内容も変わってくる。その都度役割もアップデートする。まだまだ試行錯誤の毎日だ。

やって欲しいことを言葉にして伝えることで、同じ状況になった時に指示しなくてもやってくれるようになった。本当に大きな成長だ。そして指示してやってくれた時よりもずっと嬉しかった。少し大袈裟なくらい感謝を伝えた。

苦しい時を一緒に乗り越えた記憶はきっと絆になると信じてる。




無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。