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嫌われ者のこびしわ君

小学校6年生の時、クラスに嫌われ者のいじめっ子男子がいた。あだ名はこびしわ君。小1からずっと同じクラスだったはらペコだが、彼の存在に気が付いたのは小5だった。

はらペコは当時ガリガリに痩せていて、身長は前から数えた方が早かった。対してこびしわ君は、小4あたりからめきめきと体が大きくなり、小5の頃にはクラスでもトップ5に入るデカさに。

さらに、3学年上にこびしわ君の兄貴がいて、中学では番長グループの一員で、暴走族にも所属するという有名なヤンキー。そんなヤバい兄貴の影響なのか、それまで存在感ゼロだったこびしわ君が、小5の終わり頃から暴力でクラスを支配するようになっていった。

いじめる相手はしっかりと選ぶこびしわ君。もともと目立って幅を利かせていたクラスメイトには一切手を出さず、ケンカとは全く無縁のおとなしい子たちを狙って暴力をふるい始めた。小6になってすぐに、はらペコ少年もいじめられるようになった。

仲の良い友達もみんなやられた。だけど、次第にはらペコ少年が集中砲火を浴び始める。相手はこびしわ君ひとりだ。集団いじめとは違う。気合と根性があれば、乗り越えられたのかもしれないと思い返したりする。

だが、小6のはらペコ少年にその勇気はなかった。学校が終わってからも呼び出されて、脅されて殴られ、駄菓子屋で万引きする手助けをさせられた事もあった。

ある時、こびしわ君が駄菓子屋で板チョコを箱ごと盗んだ。家に持って帰ると親にバレるから、お前が預かっておけと渡された。はらペコ少年も全く同じ理由で家に持ち帰ることは出来ない。けど逆らうと殴られるので、預かって自宅の庭に隠した。

とある土日に呼び出されたが、行かなかった。月曜日に学校で報復を受けるのが怖かったので、親にバレないように学校へ行った振りをして、部屋の押し入れに隠れてやり過ごした。

この要領で2日ずる休みをした。ところが、3日目の水曜日に押し入れに籠っていると、自宅の電話が鳴った。ドタバタと階段を上ってはらペコの名前を呼ぶ母親の声がした。見つかった・・・。
(これ以後、電話恐怖症になり現在に至る)

母親からは、学校を休んだ理由を聞かれたけど、いじめられてるなんて中々言えないもんだ。理由がないなら今すぐ学校へ連れて行くと言われ、お昼過ぎに車で学校まで連れて行かれた。

教室に行けば、こびしわ君に殴られる。仕方なく、ぼそぼそと母親に事情をそれとなく話した。その足で母親と職員室へ行き、担任を交えて話をした。担任の先生は「私に任せておいて下さい」と言った。

母は帰り、はらペコ少年は担任に連れられて教室へ行く。すぐにこびしわ君とその舎弟に捕まり、ひと気の無い教室に連れて行かれて殴られた。泣いて謝るはらペコ少年。筋違いかもしれないけど、この時は担任と母親を恨んだ。

こびしわ君からは、仲直りしたと母親に言え!と脅された。帰宅して、そのように母親に伝えた。母親は「それは良かった」と言った。母親の鈍感さよ(^-^;

その後もこびしわ君の悪さはエスカレートしていった。ある時は、放課後の教室に土足で忍び込み、掲示物をびりびりに破る悪事に加担させられた。

またある時は、給食室に忍び込み、デザートを1クラス分盗む悪事に加担させられた。はらペコ以外の男子も無理やり加担させられた。

極めつけは、クラスメイトの自宅に忍び込み、友達の財布からお金を盗んだこびしわ君。この時、はらペコは玄関前で見張り役をさせられた。この大事件が決め手となり、こびしわ君の数々の悪事が明るみになった。

もちろん、はらペコ少年も共犯者として裁かれた。だが、いじめがあった事実を把握していた学校や両親からは、ほとんど怒られなかった。また、お金を盗まれた友達の両親も、はらペコがいじめられていた事を知り、怒られる事はなかった。

こびしわ君は最後まで、万引きははらペコから教わったと言い続けていた。学校でも言いふらしていた。

友達の家に勝手に上がり、財布からお金を取ったのも全部はらペコがやったと言っていた。しまいには、お金は取ってないと言い出す始末。

まったく謝る気のないこびしわ君は、お金を取られた友達の両親にものすごく怒られたと聞いた。

小学6年生の時の一連の経験が、大人になっても尾を引いている気がするはらペコ氏。心の成長とともに、もう二度と理不尽な強者には屈しないと過剰に考えるようになってしまった。

いじめられていた当時のはらペコ少年とこびしわ君の体格差は、身長140センチのはらペコに対して、こびしわ君は160センチ。自分の体格より一回り大きかった。

大人になって考えた。今の自分は、自分よりも一回り大きくて粗暴な男に立ち向かえるのか?立ち向かえなければ、あの頃のはらペコ少年のままだ。それではいけないと。

大人になり、はらペコは背が伸びて大きな体になった。恐らくこびしわ君よりも大きくなったと思う。そこで、成人式の日に会ったら一言言ってやろうと考えた。

ところが、成人式にこびしわ君の姿はなかった。仲の良い同級生に話を聞くと、恨みを持った同級生がたくさんいたので、ボコされるのが怖くて来れなかったんだろうとの事。

はらペコと同じ考えの人たちが他にもいたのか。そりゃそうだ、毎日教室で誰かをぶん殴っていたこびしわ君。怖い兄貴の存在ももはや関係ない20歳の成人式。こびしわ君にはリスクしかない。

大人になり、フロイトを読んで知った。幼少期の辛い体験は、抑圧されて無意識に残る。意識して思い出せない事でも、全て無意識に残る。

はらペコの場合は、こびしわ君に一方的な暴力で支配され、全く抵抗できなかった辛い記憶が抑圧され、無意識に残ったのだろうか。

はらペコは普段はとてもおとなしいのに、例えば会社で、上司という絶対に逆らえない力関係の相手から理不尽なことを言われると、激しく衝突する事が度々あった。

自分より強い立場の人間の言いなりになる事が、恐らく無意識下であの頃の辛さや恐怖を思い出し、それが意識に上ってきた時には攻撃的な態度として置換される。自分を守るための、ある種の防衛機制なのではないかと自己分析している。

うつ病と診断されてから数年後、躁うつ病と診断名が変わった。抗うつ薬を飲んでいた時期に、会社で自分より年上の先輩(権威)から病気をなじられた時に、怒りが爆発してしまい、すごい事になってしまった事があった。

自分を守るために闘争心が高まる時、相手は決まって自分より強い者だった。会社組織だと、自分の上司や先輩など。

また、路上で煽り運転をされた上に、相手が車から降りてきてドアを叩かれた事があった。相手は大柄の外国人だった。この時も、恐れて引いたら虐げられるとでも感じたのだろうか。怖かったが、一歩も引かなかった。

大人になってからは常々、自分より強くて大きな相手に引いてしまったら、いじめられていたあの頃のはらペコ少年のままじゃないかと、自戒するところがあった。

幼少期の心の傷は、トラウマとなり怖気づくようになる場合と、異常な攻撃性を示す場合がある。はらペコの場合は、後者のサディズム的な機制が働いているように思う。

いずれの場合においても、理性でコントロールする事が出来ることをフロムから学び、サディズム的な防衛機制は20代が終わる頃には消えていった。

30代になってからは、20代の一連の経験が自信となり、強大な相手に対して落ち着いて、冷静に応じるようになっていった。

あるいは、うつ病によって怒りのエネルギーが失われてしまっただけなのかも知れない。いずれにしても、平静でいられるようになった事に変わりはないので、前向きに成長と捉えようと思います(^^)

最後にこびしわ君のその後について書きます。
こびしわ君は、親でも手が付けられないようになり、酒浸りになり、働かずにパチンコの日々。親からは家から出ていくように言われ、庭にテントを張って暮らしていたそうです。

そして30歳のある日、テントの中で亡くなっていたそうです。死因はお酒の飲み過ぎ。入退院を繰り返しながら、お酒を飲み続けていたそうです。

グループLINEでこびしわ君の死を知った60名ほどの同級生メンバーたち。誰からも、惜しむ声や、悲嘆はありませんでした。

いじめをした者の末路とは、こんなものかと思いました。因果応報などと言ったりもします。悪事は必ず返ってくる。形を変えて返ってくる。

今現在、職場や学校でいじめをしている人は、今すぐ心を入れ替えてほしい。あなたもこびしわ君のような人生を送る事にならないように願っています。


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