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物語の情景

「きつねの窓」という作品がある。
安房直子さんという方の有名な作品なのだけれど、わたしは教科書で読んだように記憶している。
調べると小学校の教科書に・・・という記述もあるので随分昔でもう記憶もはっきりしない。

それでもセミの鳴き声がヒグラシに変わったり、ツユクサが咲いたり、秋を感じるような季節になるとわたしはいつもこの作品を思い出す。
この作品の切ない空気が好きだった。
桔梗代わりにツユクサで指を染めて、小窓をつくって覗いてみた。幼くて転校ぐらいしか別れを経験していなかったわたしには劇的な風景など見えなかったけれど、それでも何度も小さなツユクサで指を染めた。

それが秋の物語の情景。

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夏はかげおくり。
「ちいちゃんのかげおくり」という作品はとても有名だと思う。あまんきみこさんの作品で、戦争を背景に描かれた作品だ。これも出会ったのは小学校の教科書だったように思う。
作品の内容は読んで戴くとして。

わたしはこの作品を読んで早速自分も「かげおくり」を試してみたくなった。影を見つめて空を仰いだ。
そこにほんとうに影が映ったのを確認したわたしは興奮して、妹たちや周りも誘って何度かやったことを覚えている。
そして子どもにも。

それが終戦記念日のある夏の情景。
晴れ渡る空が言いようのない不安と悲しさを運んでくる、そんな瞬間を孕んだ夏の情景。

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冬は「手袋を買いに」。言わずと知れた新美南吉さんの本。
一面の銀世界に母狐に「目になにか入った」と訴える子ぎつね。赤い手袋。

わたしの田舎は狸は稀に見かけるけれど狐は見たことがない。
それでも雪でいつも以上に眩しい朝は子ぎつねのことを思いだす。
凍える指先に息を吹きかけていると優しくしたい気持ちが胸の中に溢れてくる。

銀世界の果てに子ぎつねを想う、それが冬の情景。

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春は・・・春は悲しい思い出。
「どろんこまつり」の冒頭の有名な文。「せっちゃん」は母の愛称でもあった。
国語の教科書に載っていたらしいけれど、放送部のコンクールで朗読の文だったほうが印象に強い。自宅でも繰り返し練習した。母に「同じ名前の子が出るんだよ」なんて話もしたかもしれない。

どろんこまつりという題だけれど、はなまつりという仏教の4月の祝い事のシーンが描かれていたように記憶している。その祭りを経験したことはないけれど、この作品は春の物語としてわたしの記憶に刻まれている。

悲しい思い出、と書いたけれど詳しいことは覚えていない。
決定的だった母のセリフも果たして本当にこの作品中のものだったか記憶は曖昧だ。それでもこの作品はわたしに引き裂かれるような悲しみの感覚と白々とした想いの両方を与えるものになってしまった。
この作品をきっかけに母の心の闇を見たからだ。

だから、春の情景には物語はない。

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「どろんこ祭り」を除いてどれもごく小さな頃に読んだ作品ばかりなのにわたしのこころの風景をいまも彩っているということが我ながら驚きだった。
絵本はお金に換えられない財産だった、と改めて思う。

一方で読み聞かせは技術だとも思う。
本人に苦手意識があったり、変な対抗意識を燃やす方があったり、面倒だったり、本の選定が上手く行っていなかったり、なかなか家庭では困難な部分もあると思う。
読み聞かせボランティアはわたし自身が学ぶところも多かった。自分が本が好きなだけではやり切れないかもしれない。

それでも。
絵本との出会いは子どもの心に贈れる最高のプレゼントの一つだなと思う。
本が好きな子に育てるためにできることのひとつとして、読み聞かせができたらいいなと。

きっとコロナ禍で一切なくなったであろうそのような場に想いを馳せる今日でした。

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画像はちーぼーさんからお借りしました。
勉強で東京に通っていた時に、本棚×カフェ×宿をコンセプトにしたホステルをよく利用しました。懐かしいです。
ありがとうございました。

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