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意図と選択~光と影を抱きしめて

今日は「選択するときの意識」について少し書きたいと思います。

* * *

以前の記事で自分がいま何に基づいて行動しているか?という問いかけをしました。
本当はなにをしようとしているのか
そんな風に書きました・・・非公開記事じゃないといいのですが。

自分を突き動かしているものの正体を探っていくと「恐れ」が本体なことがあります。
ある状態になって欲しくないからこれをする」という状態。
誰かに嫌われたくないから、落ちこぼれたくないから、怒られたくないから・・・

ちなみにゲリーボーネル氏は著書「ビュイック・ドライバー 新次元の叡智」の中で以下のように記述しています。

「自分がほしいものを、ほかの何かをほしくないために求めることは、その欲しくないのものを増幅するだけ」
「ほしくないものは、過去のもの。過去を手放すこと。過去を生きている人間は、善悪の固定観念に縛られている人間。その観念を手放し、自分が”今”の中でほしがっているものを求めること」

純粋にそのことをしたいから、ワクワクするからやっているというわけではないことがまだまだ多いかもしれません。
それでもやらなければいけないこともあります。

そんな時は見方を変えるようにしています。視点を変えれば行動の意味づけが変わる、つまり怖れとは異なる自分の意図から行動できるようになります。

話が逸れましたが、自分の行動の源泉=意図に気づいていることは重要なことです。

自分の意図から行動する人はクリエイター(創造主)であり、自分の行動の責任をとりうる人であり、それによって自分のパワーを自分に保っています。
そうでない方は外的要因に翻弄されている意識を持つことになり、結果被害者意識を生み出したり、自分自身で人生をクリエイトしている感覚を失って運任せで何かが与えられたり奪われたりすることになり、その責任(=因果)をやはり外に求めて彷徨うことになります。
つまり自分自身のパワーを失った状態です。

この違いの大きさが伝わるでしょうか。

人生がうまくいくかどうかじゃないんです。

クリエイターとして創造のパワーを持っていてもうまくいかないことだってあります。痛みを抱えることも泣くこともあります。
でも舵をとるのが自分だという意識があれば、ハンドルを握っているのが自分だという意識さえあれば、道が続く限り、このからだにいのちの火が灯り続ける限り新しい現実を望む現実に向けてクリエイトしていけるのです。

あなたはどうしてこの記事を読んでくださっているのでしょう?

ご自分の意図に気づいていますか?
行動の理由のその裏の裏に隠れているものに目を向けてください。

この世は無料の情報で溢れています。
TVや動画だけじゃなくフリーペーパー、SNSやCM、根拠があるなしに関わらず広まっていきます。

それらから情報を得るとき、自分の行動を決めるとき。
そのときこそ本当に意図に注意していてください。

不安や焦燥感を煽ることで人は動かしやすくなります。
グラウンディングが浅くなるからです。
根のない丸太を立てただけのものが、根を張ったより細い木よりも簡単に倒れてしまうように、人の状態も精神的な安定感がエネルギーに作用しています。
根の部分に当たるものを人では「グラウンディングができているか」ということばで表現します。

エネルギーはイメージに作用されるので、人は頭に風船をつけたとイメージするだけでグラウンディングが浅くなってしまいます。
逆に深い根を張ったとイメージすれば深くなります。

不安や焦燥感、恐れは一般的にグラウンディングを浅くします。
恐怖で足が震える、とか言いますね。
肝の据わった人、はどっしりしていますから有事にも安定しているかもしれませんが平時よりは落ち着かなくなる人が殆どです。

ですからそういう情報に触れたときこそ、行動を選択する前に自分の意図に注目してください。

恐れから行動しているときは浮足立ったまま情報の発信源に踊らされているのと同じです。
「虫コナーズ」だったかのCMがうまいこと表現していました。わからないけれど怖いから外せない。万が一あったら・・・そんな感じのところをついていたと思います。

虫コナーズぐらい…かもしれませんが人の行動はパターン化していますので、大きな選択でも同じ行動をしがちだと思います。

スピリチュアルのセミナーなども色々見かけるかもしれません。
わたしはそれほど詳しくはありませんが、同じ精神世界系の書籍の棚をざっと見てもジャンルも方向性も様々、表現も様々に並んでいます。

皆必要性があって、その時の想いから情報を発信していらっしゃるのでどれがいいとか悪いとかはありません。

でも自分で選ぶ時には注意してください。
この人は有名な人だから、うわさの人だからと飛びつかずに、自分軸で判断してください。

自分の中でどの部分が反応しているのか。

それは時に不足感だったり、焦燥感だったり、自己否定だったり、恐れの場合もあります。
怖れを煽るような書き方、呼びかけをする人がもしいらっしゃったらそれは問題外ですが、自分の中でそういう部分が反応してしまうなら今はタイミングじゃないかもしれないということです。

勿論、それで受講されても悪いことが起きるとかはありません。回り道が必要なこと、それが宝物になることもあるからです。
早いこと、効率のいいことが「良い」ことではありませんから。

そして、恐れや不安などネガティブな感情に働きかけるものに気づいて乗せられないのと同様に「ポジティブ」を強く印象付けるものに注意を払うことも個人的にはお勧めします。
え?なんで?「ポジティブ」はいいんでしょ?って思うかもしれません。

確かに。ネガティブに比べると受け入れやすくて心地がいいことが多いです。

でも「良い」という概念と同様、二極性を現したその片方に過ぎないんです。

変な話極端ですが、「暑い」から「寒い」方がいいというわけでもないでしょう。いま暑いからこそ僅かな風にも涼を感じるというもので、極端さがあるから人は豊かになれるとも言えます。
片方の極を肯定すれば、同じぐらい反対の極を肯定することになるということです。対比なのですから。

だから片方の極に寄って、対極にある自分を否定するような、そういう構造のところにはいかない方がいいということです。
この世の仕組みに逆らっているような感じになります。
無理をした自分になってしまいます。

じゃあどうすればいいか。

「中庸」です。「中道」ともいうかな。
長くなってしまったのでこれまで。

すべては自分に気づいていればこそです。
皆さん、外であれこれ気を引くようなことが起こっていますが、自分の内側から目を逸らさないでくださいね。
逃げても蓋しても、いつかは向き合うことですから。

いまさっさと向き合って軽く転換していっちゃいましょう♪

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