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品性が人を救う

映画感想文 『グリーンブック』 監督:ピーター・ファレリー

この世界は差別に溢れている。それは無意識の偏見だったり、環境に助長された嫌悪だったり。無知による恐れや、自分を特別視するための仕組みもあるだろう。MLBで黒人の命は大事というけれど、アメリカで黒人に差別されたことがある私としては頭に"ダブスタ”の言葉がチカチカするわけで。でも、アメリカにおける黒人差別の歴史を紐解けば、彼らの思いは真っ当であることにも行き着く。そして、ハリウッドのドルビー・シアターの前で黒人が私に”アジア人を揶揄するポーズ”を取ってきたとして、全ての黒人がそうではない。ただそいつがクズだった。それだけのこと。

『グリーンブック』は噂に違わぬ感動作で、ファレリー監督の多分に下品さを含んだ優れたバランス感覚のジョークはキレキレ。トニー・リップ役のヴィゴ・モーテンセンは本当にあの『指輪物語』のアラゴルンなのか!?と驚くほどの粗野で乱暴で陽気なイタリア系のだらしのないお腹をたっぷりとさせたおじさんだったし、ドン・"ドク"・シャーリー役のマハーシャラ・アリは気高く上品で鼻持ちならないけど孤独と繊細さが滲む天才を見事に本物にした。トニーの奥さんであるドロレス役のリンダ・カーデリーニは僅かな出番で聡明さや善良さ、そして最高にチャーミングな姿を見せてくれた。あんな奥様、大好きになっちゃう。

本作は米アカデミー賞作品賞を受賞しているが、批判も多かった。トニーがあまりにも「白人の救世主」(映画における有色人種を救う白人のこと。有色人種の問題を有色人種では解決できないという意識の助長につながり、かつ白人を英雄視しているということが問題とされる)であること。ドクが典型的な「マジカル・ニグロ」(黒人ではあるが、その特異な能力によって存在を認められるようなキャラクター)であること。当時における黒人差別が軽く見えるように描かれていること。

そりゃあ、まぁ、スパイク・リー監督としては『ブラック・クランズマン』は自信作だっただろうし、実際に脚色賞を受賞している。『ROMA』だって当時の言い方をすれば、トランプが築いたメキシコとアメリカの国境沿いの壁になぞらえて、アカデミー賞でもメキシコには「壁」が立ちはだかったと言うでしょう。それに『ブラックパンサー』が与えた衝撃、特に黒人の子どもたちを勇気付けた映画は他にない。『グリーンブック』は白人監督が作った、黒人差別をただのスパイスにしただけの友情コメディだって、批判することは簡単だ。

ちなみに、ドクの遺族が「本当はこうではなかった」という声明をだしているけど、脚本にはトニーの息子が関わっていて、彼はドクにも話を聞いている。すでに当人たちはこの世にいない以上、水掛け論だ。そのうえ、「実話を元にした」映画って、ドキュメンタリーではない。

私は『グリーンブック』が作品賞に値する作品であると思う。

スパイク・リーのように、黒人が与えられた過酷な状況を苛烈に描くことはしていない。ただ、なんでもないように見える世界に見え隠れする差別的な眼差しが描かれていた。「自分は差別なんてしていない」と思いこんでいる「普通の人たち」にチクリと来るような、そんな描写。ドクが残っている車に財布を置いていかないとか、フライドチキンが好きだろうとか、そういうレベルの差別が連続する。あからさまに蹴る殴るとか、無視するとか、有色人種はレストランにいれないとか、そんな差別は明らかに「悪」で「普通の人たち」はそんなことわかってる。ただ刷り込まれた無意識の偏見が知らず識らずもたらしている差別を、映画を通して知る。作品の終盤になればなるほど、突如現れる白人の視線に観客は怯える。ドクがどう扱われるか、緊張感が走る。これが差別を認識するということでなければ、なにが差別なんだろう。

『ブラックパンサー』のような黒人のエンパワーメントは薄かったかもしれない。それでも私は、どのような扱いを受けても高貴であり、上品であることを信条としたドクが最高にかっこよかった。すぐに腕の力で解決しようとするトニーを、どんなときも「正しさ」で制したドクは、人種関係なく尊敬すべき人だった。彼は「品性が人を救う」という。黒人だからと品性を奪われてきた彼の言葉は、どんな偏見の中にあろうとも「正しく」生きようとしている人たちを勇気付けたと思う。

多くの批判に対してファレリー監督はインタビューでも、白人による黒人の映画にはしないように留意した、と語っている。

「リップはシャーリーを俗世の災難から救い、シャーリーはリップの魂を救う。」

これにつきる。トニーは決して英雄ではない。すぐに拳を振り上げる、陽気なイタリア人だ。そこに「正しさ」の価値をもたらし、魂を救ったのはドクだ。反対に、ドクは何も変わらず高潔で、変わったとすればトニーという友人を得たことくらい。俗世の災難だって、トニーは雇われているのだからドクの力でもある。

この映画にはフェアネスが描かれている。偏見に満ちた白人もいれば、ドロレスや若い警官のような善良な白人がいる。ドクのような才能を持った黒人もいれば、奴隷として働く黒人も、盗みを働く黒人もいる。そして、時代に強いられた差別も描いている。素晴らしく笑える台詞の応酬の中に、「普通の人たち」を「正」する力が秘められていて、きっとこういう作品が世界を変える。


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