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INFJの思考は「もやっと」?-Niによる思考?-

 みなさんお疲れ様です。
 ようやくゆっくりとする時間がとれ、色々と振り返っている方も多いかもしれません。
 私も1人の時間がとれて、自堕落な時間を過ごしております。

 今日は私の思考について考えてたいと思います。
 本当に思いつきなのでオチは特にありません!笑

 タイトルのとおりなのですが、私の思考は道なりに進むゴールがある思考よりも、もやもやと頭の中を彷徨うようなものが多いとふと思いました。

 1つひとつのアイデアの境界線が明確ではなく、他人から「今何考えているの?」と聞かれてもぱっと返答することが難しいことも多いです。常に頭の中にモヤをかけている状態というか。

 その理由の1つは、おそらく「普段の思考が言語化されていないから」なのかなあと思っています。
 「それは何も考えていないってことじゃないの?」
 いや、そんなことはきっとないです。常に頭の中はぐるぐるしている感覚がありますし、それに囚われて周りの状況を認識できなくなることもあるほどから(電車で降り忘れたり、頭ぶつけたり……あれ? もしかしてボーとしてるだけ?)。

 というか言語化されていない思考などあり得るのか?
 「言語が先か、思考が先か」
 という議論もありますが、私は言語は必ずしも思考に必要なものではないと思っているので、「思考が先」派です。言語を持たない生物が思考していないとは到底思えませんし、映像などの外部感覚の記憶をシンボル化して組み合わせて言語の代わりに使用しているのではないかと勝手に考えています(※シンボル化した時点でそれが「言語」になっているのでは? というご指摘には反論する気はございません。ただ、言語は本来個体と個体の意思疎通を目的にするものだと思うので、その観点から見れば違うとも言えそうです。いずれにしても定義次第だとは思いますが)。
 ただし、人間の場合は思考が明確化する頃には既に言語を習得し始めていると思うので、言語以外で思考を行う期間はとても短いのかな……なんて。

 話が逸れました、すみません……。 

 ふと気づいたのですが、「言語化できていない思考」だと私が自分で思っていたのは、正確には「目が滑るような思考」というのが正しいのかもしれません。

 自分は本を読むときに結構目が滑りやすい人間(1文読むと自分の考えが入る→考えながら次の文章読む→頭に入ってこない→戻って読むを結構やる)のですが、意外とその内容の要点は頭に入ってたりするんですよね。学校で授業を受けていたときも、先生の話を聞いているけど聞いていない状態によくなっていましたが、自分でも無意識なのに情報は入っていたり。
 「正確に」今読んだ(聞いた)情報を反復してくださいって言われてもそれは無理なんですけど。
 多分、無意識のうちに情報を選択して自分が重要ではない(あるいは興味がない)と判断したものを切り捨てているのだろうと思います(その精度については保証しかねますが……笑)。

 そして、似たことを自分の内側の思考でも行っているようです。
 言語化はされていて、頭の中では膨大な情報が流れている気はするのですが、自分でもその内容はあんまり意識していなくて、基本的に般若心経を聞き流している感じ。

 そうした中で、たまにはっきりと意識化されるものが出てくるんですよね。
 今の自分にすっぽりと当てはある「言葉」といいますか。
 それまでだらだらと垂れ流していた思考をまとめた結論というか。

 MBTIの心理機能でいえば、これこそがNi(内向直観)なのかなあとも思ったり。
 Niは「自分でも言語化して説明できない予感、ひらめき、確信を与える能力」なんて表現されることもありますが、個人的には導出の過程に言語がないというよりも、あまりその過程に意識が向いていないだけなのではないだろうかと思っております。まあ実際に説明ができないことが多いのは確かですが。
 無意識下ではあるものの、その情報の流れを確かに感じてはいたからこその「確信」なのだと思います。本人としては「確かに根拠はある」のですが、「説明はできない」。でも、なにもないところからぱっと確信が生まれるわけではない。

 どこかのINFJさんが、言語化速度が思考速度に追いついていないという趣旨の説明をされていた気もする。それに私も同感です。けれども、結果としてあるアイデアが出てくるということは、その背景には何かしらの過程があるはず。

 また、INFJは基本的に1人の時間が欲しいといわれますが、それはこのもやっとした思考を行うために外部刺激を遮断してぼーとすることが必要だからなのかな? と思います。
 「瞑想」なんて仰々しいものではなく、例えば朝の歯磨きとか、通勤・通学とか、シャワー浴びてる時とか、そういう何気ない1人の時間、自分の行動を意識化する必要がない時間が1番充実しているのではないでしょうか。

 私の場合、同じ思考でも、例えば人間関係に問題が生じたときの思考は、対照的に言語化される傾向があります。自分の頭の中で、はっきりと意識された意見の対立が起こり、その結果として論理的に結論を導きます。これは、自分が今の状況を抜け出すために思考の意識化が必要となるから仕方なくやる感じです。おそらく、「目的ありきの思考」は本来INFJにとってあまり得意ではないのでしょう(これはNiではなくTiを使う思考)。だからこのような思考が続くと、非常に疲弊するかと思います(人間関係の場合にはFeも絡んでくる)。

 Niによる「無意識的思考」がINFJにとっては自然で、Tiによる「意識的思考」は不自然なのです

 Niは知覚機能だから「知覚的思考」、Tiは判断機能だから「判断的思考」と言い換えられるでしょう。
 Niによる思考は「頭の中でぐるぐると情報が循環する」もの。
 Tiによる思考は「頭の中でジェンガのように言葉を積み上げていく」もの。

  ちなみに、noteに記事を書くときには普段の「無意識的思考」を「意識的思考」に翻訳していく作業が必要になります。
 これが結構、大変です。
 知恵熱が出ます。
 今回の記事も、なんだか、当初に書こうと思っていたことと違う記事になってしまっている気がします。私は何が言いたいんだ……笑
 そして最初に書いた通り、オチはありません。
 というか、うまい落とし所を見つけられませんでした
 でも書いたのもったいないから投稿しておきます。

 ただ、記事を書くことで、自分でも意識していない思考の姿が、輪郭がはっきりとしてくるのは楽しいです。

 なんて感じで本記事は終わらせていただきます。 

 

 


  

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