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形のないものは美しい

公園の桜の木が徐々に緑に染まってきた。

昨日までピンク色の一部となっていた花びらは、今頃風にでも飛ばされてどこかの道端で今年の役目を終えているのだろう。

今日もいくつかの花びらが今年の役目を終えている。

地面にたどり着く最後の最後まで可憐に舞う生涯は、最後まで美しく生きていたいという強い意志を感じる。

”消えていくもの”や”廃れていくもの”に美しさを感じてしまう心がこの国にはあるらしい。

侘び寂びという言葉がある通りそれは一時の流行りとかではなく、この国に深く結びついた文化のようなものなのかもしれない。

逆に海を渡ったある国では、”形の変わらないもの”を美しいと感じる文化があるらしい。

だからこそアートとか彫刻とか芸術の文化が盛んだと、どこかの教授が自慢げに話していた。

自慢げに話す姿は気に食わなかったけど、腑に落ちてしまうほど納得してしまった。

毎日美しいものに浸っていれば、それはいずれ慣れとなり普段の生活の一部となる。

都会の景色を見ても何も感じなくなってしまったのと似ている。

それならば、桜のような一瞬の美しさに浸っていた方が、”来年も”という目標と記憶となって心にずっと存在する。

生きていたいと思う。

形があっても心から消えていくものと

形がなくても心からは消えないもの。

どうやら後者が好きみたいだ。

一片の花びらが向暑はるの肩に乗った。

この美しい記憶が、次の春まで強く生きるための糧となる。

春風に夏の匂いが混じっていた。

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