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わたしたちの恋と革命 ep.9

 凪いでいる海とは正反対に、詩の気持ちは落ち着かなかった。おいしくてついおかわりしてしまった、オリジナルブレンドのカフェインのせいかもしれない。
 喫茶店で自家製の味を堪能してから、二人で話したいからと、詩は茉白を海に誘った。横断歩道を渡ってすぐのところから、もう砂浜が始まる。普段から履いている靴で来たから、砂が入ってきて少し気持ち悪かった。海はいいことばかりじゃない。
「びっくりした?」
 浜辺をゆっくり歩きながら、茉白が口火を切った。互いの表情を確かめないまま、思いを言葉に変えていく。
「したよ。先制パンチ喰らった」
「ごめん。事前に言うか迷ったんだけど、実際に会ってもらうのが一番かと思って」
「――二人でお店やってるの?」
「そう。……趣味で写真撮ってるんだけど、モデルの一人で。出会って割とすぐくらいから好きだったんだけど、まあ、伝えられなくて。そうしたら、向こうから告白してきてくれてさ」
 詩は思わず、そう言った茉白の横顔に目をやった。恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべていた。茉白にとって大切な瞬間を、今打ち明けてくれているのかもしれない、と詩は思った。
「気持ち悪がられたらもう一切関係を絶って、姿を消すつもりだったみたい。だけど、玉砕覚悟のあの子に気持ち悪がられたのは、むしろわたしの方で……嬉しくて、号泣しちゃった」
 一度苦い経験をした茉白にとって、好きになった人から告白されるなんて、夢のような出来事だっただろう。茉白が号泣したのも理解できなくはない。
 詩は言うかどうか迷って、結局口にした。
「彼女、芽衣に似てるよね」
 茉白は演技でもなんでもなくきょとん、とした顔をし、「そうかな」と顎に手を当てる。無意識のうちに惹かれていたらしい。
「言われてみれば、見た目は少し似てるかも。でも、中身はけっこう違くない?」
「それは、話してみてすぐに分かった。見た目は少しじゃなくて、かなりそっくりだと思うよ」
 強めに言っても茉白は腑に落ちていない風だったが、詩はどちらでもいい気がしてきた。どうやら、芽衣の代わりに彼女を選んだわけではなさそうなことが、もう分かっていたから。
 空を飛び交う鳥の鳴き声が耳に届く。
「今度、さ」
 詩が言いかけると、「そうだなー」と茉白は逡巡を表すように語尾を伸ばした。詩の台詞の続きを察しているみたいだ。
 詩は、今度は芽衣を連れてきてもいいかと続けるつもりだった。この十年、詩と茉白が会っていなかったのと同様、二人ともに芽衣に会っていない。傍にいるのが当たり前に感じていた日々は遠ざかった。
 しばらく二人で海を眺めていた。
(茉白は海が好きだったんだろうか。そんな話、聞いたことあったかな)
 ここでお店を開いているのはたまたまなのか、それともどうしてもここがよかったのか。そんな質問にシフトしようかと思いついた瞬間、「もう時効かな」と茉白がぽつりと呟いた。小さな声でも波に負けず、海鳥の声にかき消されず、詩の耳に届いた。
「……わたしが担当してるアイドルグループ、最年長の子がわたしの二つ下なの」
 いきなりなんの話かと、茉白は詩の方に顔を向けた。
「それなのにその子、若いメンバーから『おばさん』っていじられてるんだよ。わたし、とっくにおばさんだったんだなって、思い知らされる」
 首を傾げる茉白に、詩は笑いかける。「それくらい時間が経ったってこと。わたしも茉白も、それに芽衣だって、ずっとあの頃に留まっているわけじゃないでしょ。もう先へ進んでる」
 だから、きっと大丈夫だよ。背中を押すみたいに伝えてあげた。
「わたし、」茉白は自分の膝に顔を埋める。「ずっと会いたかった。詩にも……芽衣にも」
(わたしもだよ)
 詩は心の中で繰り返す。
(わたしもずっと、茉白に会いたかった。芽衣にだって、会いたい)
 連絡を取ろうと思えばいつでも取れる、なんて考えてはいけなかった。


     四


 アイドルのライブチケットが取れてしまった。「当選」という単語を見つめても、それが「落選」に変わることはなく、詩は現実のこととして受け止めた。
 前から興味はあった。アイドルになりたい女の子たちってどんな人たちなのだろう。それを応援する人たちってどういう心情なのだろう。アイドルを実際に目の当たりにしたらどんな感情が芽吹くのだろう。音楽番組やバラエティ番組に映る彼女らを捉え、詩はそんなようなことをとりとめもなく考えていた。
 感情を整理するには現場に足を運んでみるのが一番。なんの気なしに近々行われるライブチケットを応募し、抽選結果がもたらされるのをぼんやり待っていた。
 そして訪れた「当選」。
(是が非でも行きたい、みたいに渇望していない方が、こういうのって当たるものかも)
 きっと、そのアイドルに対して詩以上に思い入れが強くて、だけれど落選してしまった人はたくさんいるだろう。
(それでも、当たったのはわたしだ)
 現実として受け入れると、次第に心が弾んできた。
 放課後の部活動の時間、日直で少し遅れた詩は部室に駆け込むなり、開口一番「ライブ、当たっちゃった」と二人に告げた。
 窓辺で校庭を見下ろしていた茉白と、文庫本に目を落としていた芽衣がその勢いに戸惑いながら、詩を見据えた。
「ライブ?」
「アイドルの、ライブ」
「ああ、観に行ってみたいって話してたね」
 切れ切れに補足する詩に、芽衣は即座にピンときた。とりあえず座ったら、と促され、詩は部屋の中央にある椅子の一つに腰掛ける。茉白も寄ってきて、手近な椅子に座り腕を組んだ。
「よかったじゃない。興味あるって言ってたんだから、楽しんできたら」
 だが、詩は首を横に振ってから、三枚あるの、と言って二人を順繰りに見た。「一人で観に行くのは心細かったから」
 茉白はあっさり頷いた。「へえ、面白そう。この機会逃したら一生観ることなさそうだし、わたしも行くよ」
 一方で、芽衣はあまり乗り気じゃなさそうだった。
「……芽衣は、行きたくない?」
 嫌だってことはないけど、と前置きし、「でも、人多いだろうし、アイドルの曲なんて少しも分からないし――そもそも、ライブってどう楽しんだらいいの?」
 その問いに、詩は上手く答えられなかった。
(どう楽しんだらいいかなんて、わたしも知らない……)
 当然周囲はライブ慣れしている人が大多数を占めるだろう。そんな状況下に置かれて、どう振る舞えば正解なのか。
「詩と同じでいいんじゃない」
 茉白がさも当たり前、といった風に口を挟む。「一ミリも興味関心がないわけじゃないでしょ。どんな女の子がアイドルという道を選ぶのか、どういう人たちが彼女たちを応援しているのか。確かめに行くの」
 あるいは、と言葉を続けた。「あるいは、革命の参考にしてもいいし」
 得意の「革命」を持ち出した。
「革命の参考になるの?」
「なるよ。貴重な若い時代を『アイドル』に捧げるなんて、大した革命だ」
 それらの言葉が響いたとは思えないが、結局ライブには三人揃って観に行くこととなった。


 池袋駅で待ち合わせ、西武池袋線に乗った。各駅停車、準急、急行、特急と種類の異なる電車がずらりと並んでいて、乗り慣れていない詩たちは見事に翻弄された。
「西武線の池袋駅、ほんとに大きな駅だね」
「このまま乗っていったら、川越とか秩父にも行けるんだっけ」
 詩の答えに、芽衣は目を輝かせた。「いいね、行ってみたい。今度、三人でお出かけしようよ」
 賛成、と詩と茉白の声が揃う。
 池袋駅から乗った三人は座れたものの、一駅ごとに、車内の混雑度は増していった。そして周囲を観察すると、いかにもアイドルファンと分かる人が多数を占めている。交わされる会話からは、今日どんなことを期待しているのかが窺えた。
「やっぱり、『永すぎた春』のファンって多いんだな」
 茉白が、真ん中の席に座る詩の耳元で囁く。「永すぎた春」は、今日これからライブを観に行く、お目当てのアイドルグループだ。
(雑誌の表紙とか、バラエティ番組でメンバーをよく見かけるし、曲も至るところで流れてる。だから、人気があるのは明らかだったけど、こうして改めて応援してる人の多さを目の当たりにすると、不思議な気持ちになる……)
 アイドルになることを選んだ少女たち。彼女たちに声援を送るために、混雑した電車に揺られ、遠い野球場まで足を運ぶ人たちがこれだけいる。
(わたしが確かめたかったことの一つだ……)
 やがて、電車は西武球場前駅に到着し、乗客が一気に吐き出された。
 今日で最初の最後かもしれない、詩は、あらゆるものを目に焼き付けて帰ろうと心に決めた。
 西武球場は秋の装いだった。

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