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私と場面緘黙症②〜克服までの道のり〜

保育園から中学生までの経過はこちら

緘黙克服への兆し

 私はこのまま喋れない、表情を出せないまま大人になるのは嫌だ、高校でこそは絶対に喋れるようになりたい、普通になりたい、そのために知っている人が誰もいない学校に進学したいと思っていました。最初は母子家庭で貧困家庭であったため、近くの公立高校への進学を目指していました。しかし、中学3年生の頃の担任の先生に私立でも難しいかもしれないみたいな感じで脅され、母親との相談のもと私立高校専願での受験に変更することにしました。母親としては少しでも安く済ませたいと思っているので近くの私立高校へ進学してほしかったようですが、私もどうしても環境を変えたかったので自分の意思を貫き少し遠方の学校への受験をさせてもらうことにしました。その後、受験にも無事に合格し新たな高校生活がスタートすることになります。

高校生活スタート

 私は絶対変わるんだという強い意思を持ち、不安と少しの希望を抱き高校生活をスタートさせました。誰も私のことを知っている人はいません。
 場面緘黙症だった私が受験した学科は看護科です。ビックリですよね。中学時代には喋れない私が看護科を受験することでいろいろ言われ嫌な思いをしてきました。私は保育園児くらいから看護師になりたいという夢がありました。なぜかは分かりません。他にもいろんな夢はありましたが、家族や親族も皆が応援してくれるのが看護師だったので自然とその方向へ導かれた感じでしょうか。そういう訳なので、無口・無表情でいるわけにはいかないのです。めっちゃコミュニケーション能力必要なのです…(⌒-⌒; )
 まず、学校生活が始まり驚いたのは、看護科だと大人しめの子が多いのかななんて思っていたら、結構ヤンキーちっくな子が多かったんですね。私は正直この時点で怖かったです。担任の先生は若い先生で初めてクラス担任をもつという先生でした。優しいいい先生でした。なかなか自分から喋りかけていくことができず、これはまずいかもしれないと思っていました。そんな時、昼休憩の時間に一緒にお弁当を食べようと声をかけてくれた子がいました。それから、4人で一緒にお弁当を食べるようになりました。最初の方は多分ぎこちなかったと思いますが、だんだんと喋ったり笑ったりすることができるようになり、初めて友達と思える友達ができました。4人グループのうちの2人が家庭環境が少し似ていたこともあり、より一層仲を深めることができました。お互いの家に遊びに行ったりするようにもなりました。
 そして、最初は誘われてボランティアとして手伝いとして活動していましたが、一緒に活動していたもう1つのクラスの子に誘われ、私は部活動にも入部しました。ほとんど同じ学科の子と先輩でした。この部活動も嫌なことはたくさんありました。途中で退部の相談も顧問の先生に相談しましたが、結局辞めさせてもらえず最後まで続けていました。困ってるげに言われるとそれなら…と思ってしまうタイプです(^^;)当時はしんどかったですが、振り返ってみると、いい経験というか、いい思い出ができてよかったと思っています。部活仲間と遊んだり、部活で宿泊したり、青春だったなと。また一緒に活動してみたい、みんなで1つのものを完成させたいなんて思います。
 月日は経ち、2年生になった頃にやっと学校生活や喋る生活に慣れてきました。そのくらい本当に環境の変化が苦手なのです。
 私の学年の看護科は多少のごちゃごちゃはありましたが、ありがたいことに、真逆のような性格の子や男女なんかも関係なくみんな仲の良いクラスでした。私のようなタイプでも陽キャ女子がよく絡んできてくれました。
 高校3年生の卒業式ではクラス代表として卒業証書を受け取るという役割も果たしました。本当に、この高校を選んでよかったなと思いました。

緘黙克服成功??

 ここまでは、まるで緘黙を克服したかのように書いてきました。喋れるし笑えるようにもなった、じゃあ緘黙克服したのかというとそうではありませんでした。12年という長い期間、普通の人が当たり前にできることが困難な状態で生きてきたのです。そんなに簡単に克服できるわけありませんよね。やはり、後遺症といった形で残るというか現れてくるんですよね。
 まず、入るための挨拶ができないので職員室に入れない、相談ができない、声が小さい、自己肯定感が低い、先生に話しかけられない、人の目を見て話すことができない、緊張しやすい、名前を呼べない、咳やくしゃみができない、体調不良が言えない、表情がないから何考えているのか分からないと言われたり苦手なことがたくさんありました。自分が喋っているところを周りに聞かれることや自分の好きなことなんかを尋ねられることにすごく抵抗がありました。
 やはり、そんな感じで困るのは臨床実習です。看護師の実習って調べてもらったら分かりますが特殊なんですよね。患者さんには優しい??かもしれませんが、看護学生は恐怖でしかない相手です。もう看護実習は2度とやりたくないです。指導者さんへの報告・連絡・相談は苦手だし、上手くコミュニケーションを取れないからグループメンバーにも迷惑をかけメンバーとトラブル、患者さんやその家族とも上手く関われない、過緊張で体が強張る、今までのこともあり慢性的な抑うつ傾向みたいな部分もありメンタルボロボロでした。本当にパニックになって過呼吸を起こしたり、泣いたり、一時的に耳が聞こえなくなったり聞き取りにくくなったり、食事も受けつけないし、酷い時は3週間で3〜4kgくらい体重減少していました。
 こんな感じでいろいろありましたが、パニックになり泣きながら酷い過呼吸起こしてた時に一緒にいてくれた先生が「話せたらいいんだけどなぁ、話すのに時間がかかるもんなぁ」と私の言葉にするのに時間がかかってしまう苦しさに対し、理解のある言葉をかけてくれたのが嬉しくて今でも忘れません。初めて理解してくれる人がいたと当時は思っていました。高校にはわりと恵まれて、先生たちも気にかけてくれて、話してごらんと声をかけてくれたり、1人で我慢しなくて良いんだよとか、気にしとんよ、何かあったら言うんよ、何かサインは出してよなどと声をかけてくれたり、良い先生も多かったですが、やはり私は小学校3年生の頃の影響で人に相談したり頼ることはできなかったのが悔しいです。

最終的にどうなったか

 私は最終的に専攻科へ進級し、実習では赤点ギリギリなんかのものもありましたが、無事に国家試験まで辿り着き、看護師免許の取得をしました。そして病院勤務をし、コミュニケーションの壁にはぶち当たりましたが、この仕事のおかげもあってか最終的には自ら話すタイプではありませんが、雑談程度であれば誰とでもさほど抵抗なく普通に話すことができるレベルまで改善しました。電話も苦手でしたが、以前に比べて挑戦する頻度も増え改善傾向です。その他、なかなか克服しきれない部分もあるように感じますが、総合的には環境の変化により緘黙の克服に成功したといってよいのではないでしょうか。ただ、緘黙は克服しましたが、心の闇や心の傷は消えません。一生付き合っていくことになるのかもしれないでしょう。

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