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『ゴッホ展』質的なものを描く・炎のゆらめぎ

『ゴッホ展』行ってきました。東京の開催地は上野は上野の森美術館。しとしと雨が降り、季節のうつろい、短い秋への名残惜しさと冬のはじまりを感じる公園に入り、駅を背に左手に進むと、見えるゴッホの『糸杉』がうつる大きな展示会のパネル。

ゴッホ、あまりにも有名な画家の一人、昨年同じ時期に上野の森美術館にフェルメールが来ていて、その時も大行列だったのですが、今回は雨の夜間開館日を狙ってきたのでなんとか並べるくらいでした。フェルメールをその時は諦めて、東京都美の方に確かいったんだっけ。

上野の森美術館に常設展はなく、施設自体があまり大きくなくて、見るのに少し疲れはするのですが、来る作品は話題になるような珠玉のコレクション。昨年度のピーク期間は確か時間別整理券になっていました。

ゴッホの作品を日本の企画展でまとめて見るのは2年前の同じ季節、2017年の『ゴッホ展 巡り行く日本の夢』でした。その時にはゴッホが愛した日本を代表するアーティストである葛飾北斎、そして歌川広重の浮世絵、そしてそれらがゴッホの制作にどのように影響したか、北斎らの浮世絵とゴッホの作品、それらの交流をガシェ家の記録辿りながら、並べてみる企画展。その時もとても満足度が高かったです。

そして今回は、ゴッホが生まれの地オランダで交流した『ハーグ派』とパリで交流した『印象派』の作家たちとの邂逅を辿る企画展です。僕としては印象派のムーブメントがとても興味深く、作品としてもとても好きなものが多いので、楽しみでした。少しゴッホの作品と影響を与えた作品と感想を書き残しておこうと思います。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ

ゴッホ、天才の名をままにする作家の一人。「炎の画家」として後期・晩年の燃えるような色彩・炎のように揺れる筆、それらを比喩してそのように呼ばれていますが、もちろんそのような圧倒的な色彩と構成をはじめから持っていたわけではありません。
ゴッホは元々絵画を扱う画商であり、絵画は描くものではなく、ビジネスのためのパートナーだったわけです。しかし絵、創作することへの愛は深く、気に入った絵については、弟のテオドルス・ヴァン・ゴッホにどの点が素晴らしいか、詩的にも思えるような表現でその絵への愛を語っています。オランダのグーピル商会、ハーグ支店で働いていた時には、オランダの黄金時代を彩る世界的画家、レンブラントやフェルメールの作品と向き合ってきました。

そして27歳のゴッホは遂に筆を取ります。最初は独学で技法を学び、ミレーの絵を丹念に模写することからはじめ、そして旅する中で、出会う画家、そして作品たちに影響を多く受け続け、作品のスタイルを模索し、自己と向き合い、37歳で自らその生命を終える時まで、あまりにも短いその作家人生で850点もの作品を世に残しました。

この企画展で強く感じたのは、彼が哲学を築き上げ、それでいて彼が持つその感受性が(時には本人や周りを困らせることになるほどに)豊かで繊細で、しかしなお他者から学び、受け継ぎ、ゴッホの持つ強烈な個性、哲学と鬩ぎ合い止揚していくこと、それらが彼の作品を作り上げてきた、ということです。

炎のゆらめぎは、最初から大きく燃え上がっていたわけではなく、木を倒し、薪にして、藁に火をうつし、大きなアートのムーブメントに誘われるように段々と大きくして行った結果として結実したものなのだと強く感じられました。当たり前ですが、それらがあったからこそ、彼らが残した作品は多くの人の心を惹くのでしょう。

「他の画家がそうしているように、
 農民の暮らしのすべてを観察して書くよ」
                      (テオへの手紙より)

初期の作品群では、表現、技術こそ卓越したものはまだ全面に出ていませんが、ゴッホが被写体とする景色や人物に対する深い共感を通して、彼、彼女らの暮らしや心的なものまで、その質的な部分について描かんとするその哲学が既に見え始めています。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ『疲れ果てて』(1881)

椅子に座り項垂れる農夫、1日のそして生活の疲れの質的な部分にまで迫ったような作品です。こちらまでその苦悩が伝わってくるような、農夫の顔はほとんど隠されていますが、その姿勢や雰囲気や印象でその疲れや苦悩を描いているようです。共感的姿勢が表れていると言えるでしょう。この頃、農夫をモティーフにする画家と交流をして、制作をともにしていたゴッホでしたが、同じ対象を描くにしろ、その質的な部分を描こうとしていたゴッホと異なるスタンスをとる画家とは決別しています。彼は描くべくして農夫とその質的な部分を描こうとしていたのでしょう。ただ身近な被写体ではなく、煌びやかな暮らしのカウンターとしてではなく、その内面を暴くことを、匿名の貧しさや、生きていくことの厳しさ、それらを絵を通して行うために描いたのです。


ハーグ派とゴッホ

19世期後半に旺盛な活動をしたオランダの優美な自然を描くハーグ派の画家たちとゴッホは交流することで転身したその画家として最初のキャリアを築きます。当時レンブラントやフェルメールの時代の画家の主たる作品のように古典的な、例えば室内画、人物画が以前スタンダードだった時代ですが、外に出てその自然を描くことをしています。特徴的なのは、その鮮やかな色彩と色調。額縁の中に広く取られた雲、自然のその壮大さを表現するということしてきました。

アントン・マウフェ 『雪の中の羊飼いと羊の群れ』

マウフェはゴッホに色彩と色調を持って生命を描くことを伝えた画家でした。鮮やかな色彩で自然を讃えるように描くこと。生命の瑞々しさを描くことを伝えたのです。白色を持って明るさと太陽の光線、そして太陽が生命の肌に反射して溢れる景色を描くことをゴッホは表現に取り入れていきました。ゴッホはミレーの絵画を称賛する際に使う「土で描いたような」という言葉を持ってして、自然をそしてその中での暮らしを描いていきました。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ『鳥の巣のある静物』

ゴッホはハーグ派との交流の中での不和がきっかけで室内での表現活動をすることになりました。しかしその中でも静かな画面にほのかに光る生命を描くことをしたのでした。

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印象派との邂逅**

1886年、画商をしている弟のテオを頼りにふらりとパリに訪れたゴッホ、当時のパリはまさに世界のアートの中心で、世のアーティストたちが野心を持って集まっていました。その中で生まれたのが、「印象派」という芸術運動でした。当時のフランスでは『芸術アカデミー』が支配しており、画家として名を立てるためにはアカデミーに認められることが重要となっていましたが、それらは古典的で純粋な、今までのスタンスのものが評価されるものであり、新しい試みはその枠から溢れていました。しかし新しい表現を求め、自由に対象を捉え、ただ既存の技法を高めるのではなく、表現すること自体に挑戦したのが印象派とのちに呼ばれるグループでした。

展示室はここで地下1階に移ります。黒色をしていた展示室の壁は、ガラリとその鮮やかな空色に変わります。
名だたる印象派の画家たちの作品が並びます。印象派をまとめ、率いたシスレー、カミーユ・ピサロ、点に分解する分割法を描いた新印象派のシニャック、ひととき暮らしをゴッホと共にしたゴーギャンの作品からは「水飼い場」、この作品はゴーギャンの後期に象徴するあのプリミティブな褐色と印象派的な短い筆致、水に反射する光の表現技法どちらも内在した興味深い作品でした。そして印象派に一部共にしたセザンヌ。


アドルフ・モンティセリ「陶器壺の花」(1875-78年頃)

このパリでの日々で最も如実にゴッホが影響を受けたのは、アドルフ・モンティセリのように自分は感じました。厚塗りで絵具を重ね、その筆致でうねる様な鮮やかさを表現する色彩。補色関係を生かしてその生命の底から湧き出る鮮やかさをに描くことをゴッホは取り入れました。入り浸っていたという『ダンギー爺さんの肖像』、『男の肖像』(1888)ほか、『ひまわり』やこの展示会のハイライト『糸杉』にもその特徴がよく現れています。

そしてゴッホは理想郷を求め、南仏アルルへ移住。日本を夢見ていたゴッホですが、かの地アルルを、画家の理想郷として認めようとしたのです。これがゴッホの黄金期、印象派に習った筆触分割法、明るい色彩、質的内面を描くその姿勢を表現技法に応用したのです。この時期の作品こそ、ああ、ゴッホの絵だと感じる人も多いのではないでしょうか。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ『麦畑とポピー』(1888)

パリの画家たちにアルルへ来るように熱烈なメッセージを送り応えたのが、ポールゴーギャン。彼とは共に暮らしましたが、決別をすることになります。


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旅の終着地点、サン=レミ**

ゴッホが最後に過ごしたのは、サン=レミでした。ここで最後の変貌を遂げます。その象徴的作品とも言えるのが、『糸杉』(1889)です。うねる様な筆致と、さらに細かくなった筆使い。糸杉に心を奪われたゴッホは、大切なモチーフとして、じっくりと晩年を過ごしました。その形象の美しさ、風と共に揺らぐ動的な生命を描くことに苦心しつつも、時間をかけて手を入れていきました。
生命をどの様に描くのか。外面を描くことをから内面を描くことへの転換、ゴッホが持つ強いモティーフへの共感と探究心が身を結んだのが、『糸杉』でした。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ『糸杉』(1889)

今年の春にパリのオルセーでゴッホの晩年の作品群を見ましたが、そのエネルギーの源泉をこの企画展で知ることができました。やはりこの様に理解を深められるのは、企画展の素晴らしいところです。面白いなあ。

最近、原田マハさんの『いちまいの絵 生きているうちに見るべき絵画』という本を読んだのですが、これも大変面白かった。元アートキュレーターで現役小説作家の原田さんが書く、とても贅沢キャプションの様な本です。小説は読んだことあったのですが、もともとキュレーターだったのですね、原田マハさん。

今回はゴッホと印象派、ハーグ派の企画展でした。感性を豊かに、色んなものに影響を受けて、旅をして、自分の心を育み、哲学を築いていくこと、そして表現することの苦しみと尊さを改めて実感する展示会でした。雨でも上野まで行ってよかった。オススメです。


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