子どもに伝えたい『見えぬけれどもあるんだよ』

Eテレの『にほんごであそぼ』の歌だったと思う。

「見えぬけれどもあるんだよ~♪」

繰り返される、ゆるいメロディーが心地良くて、耳に残る歌だ。

この頃、"可視化することの良さ"について、目に留まることが多い。仕事の可視化、名もない家事の見える化など、他者とタスクを共有したり、効率化を図るには有効だと思う。

"可視化" と同じく、「見えぬけれどもある」ことを大切に暮らしたいなと思うこの頃。

自分自身にも言い聞かせたいし、子ども達にも伝え続けたいのが、「目に見えないもの」だ。

子ども達には、おばけ、妖精などのファンタジー世界が伝わりやすい。

おばけ、妖怪、妖精なんて、本当に存在するのかどうか知らないけど、いても良いよね!

信じる信じないかは個人の判断に任せて、どちらでもいい。“信じる“ことを否定せず、受け入れてほしい。

ファンタジー世界から一歩理解が進むと、神様、仏様の話をしたい。何を信じてもいい、信じなくてもいい。

「ご飯粒を残したらお米の神様が悲しむよ」

自分は幼いころ、そう言われて育った。

保育園児にして内心では(神様なんているわけないじゃん!)と思いつつも、(でも、お米の神様って小さくて可愛いんだろうな~)とワクワクしていた。

きっと、『見えないものの』の存在を許した方が、大らかな気持ちで暮らすことができるはず。

そのことを無意識に感じながら大人になったように思う。


見えないものを否定する社会は息苦しい。

優先席に座っている若者は、一見健康そうに見えても、実は深刻な病や障害を抱えているかもしれない。

電話越しに怒鳴り散らす人は、クレーマーに思えるが、精神疾患を患っているかもしれない。

『見えないもの』の存在を否定して怒っていたら、自分が『見えないもの』を抱える側になった時しんどいよ。

『見えないもの』への大らかさを自分は持ちたいと思った。

このことに、写真家の幡野広志さんの文を読んで、改めて気づく。

ちなみに。

うちの子たちがサンタクロースばりに信じている『見えない存在』がある。

その名も『くいしんぼうオバケ』!

あの有名な童謡『くいしんぼうのーオバケの子♪』に出てくるオバケで、夜中にこっそり美味しい物を食べちゃうのだ。

我が家に出るオバケは子どもじゃなくて、『くいしんぼうの、中年オバケ』だけども。

子どもが翌朝食べようととっておいたお菓子やオカズの残りを、酒のツマミに食べてしまう、けしからんオバケです。

「くいしんぼうオバケに食べられちゃったー」

翌朝お菓子がなくなっていても、オバケのせいにすれば円満解決。

ファンタジーと現実の区切りが曖昧なのは、サンタクロースと同レベルかも。

大らかで優しい世界って素敵だなー

手帳と刺繍の楽しみ方について、あれこれ考えてます。楽しい時間をみなさんとシェアできる何かを、作っていきたいです!