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損得だけじゃつまらない


写真が好きだと言うと「役に立つ趣味でいいですね」と言われることがある。
確かに写真を好きになってから、「今」という瞬間を残せたり、大切な誰かの思い出を残す手伝いをさせてもらえたりする機会が増えた。好きなことで誰かが喜んでくれるとしたら、こんなにうれしいことはない。


ただその一方でずっと「役に立つ」とか「やっておくとプラスになる」的なニュアンスに疑問をもっていた。
誰かのためにならないもの、極端な話お金や仕事に結びつかない趣味や好きなことは意味がないと言われているような気持ちになることがある。


自分が価値を見出していることについて、意味がないことなんてないと思うんだよなぁ。


わたしには写真のほかにも好きなことがいろいろある。
例えば、ゲームや漫画を読むこと。
子どものころは、朝から晩までゲームをしていたことがあったし、ずっと漫画を読みふけっていた日がほとんどだった。
その頃より時間は少なくなったといえど、今でもゲームや漫画は好きだ。


ただこの好きなことは直接的になにかに結びつくことはそうそうない。
それに「またゲームして」「そんなに買ってどうするの」と言われることもある。
でも、だからといって、この時間が無駄かと言われればそうじゃない。


ゲームや漫画は、冒険できないような広い世界を教えてくれたし、登場人物たちは自分と似ているようなタイプ、全然ちがうタイプ、いろんなひとたちがいることを教えてくれた。
何より、わくわくすることをたくさん教えてくれた。


それに好きなことをしている瞬間は、夢中になれて楽しくてしょうがない。
そこに、役に立つもたたないも、損得もなにもない。


一時期自分にとって無駄か無駄じゃないかを判断軸として生活してたことがある。そのとき役に立つことは身についたけど、全然楽しくなかった。
むしろ、心の余裕がなくなったとさえ感じていた。


先日、自己理解ワークのときにも話があった、
「好きなことってそれだけで価値がある」
そこに、損得も有益も無益もないんだよね。


心が潤う、それがどんなに大切なことか。
人からは「なぜ?」って思うようなことでも自分の中で大事にしたいものがあればそれでいい。それだけで十分価値のあるものだから。


と、いうことをずっと誰かに言ってほしかったのかもしれない。
好きなものは好きでいていいんだよって。
別に好きなことを否定されたわけでも、冷たい言葉をぶつけられたわけでもないけどどこか心の中にあったんだろう。 


大人だから やってると役に立つから
そんなことはどうだっていい。
好きなものは好きでいいのだ。

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