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会える時にどんどん会おうねって話


「おじいちゃんの最期にね、〇〇(弟)を会わせてあげたらよかったなって、今は思うの。」


この間帰省しているときに母が言った言葉が頭から離れない。


母方の祖父が他界して、今年で七回忌を迎えた。
祖父母がいなくなってしまった家に行く機会はめっきり少なくなってしまったけど、お盆の時期は毎年一回会いに行く。


お花を入れ替えてあげているときに、母がそっと呟いたのだ。


「じいちゃん、〇〇のことかわいがってたじゃない?頻繁に会ってたから、危なくなるとき連絡しようと思ってたんだけど、遠かったし忙しかったからやめたのよね。でも、間に合わなくてもちゃんと生きているときに会わせたほうがよかったなって。」


同じ会うでも生きているときとそうじゃないと全然違うからね、と。


私はたまたま実家にいたし、その日休みをもらって最期に立ち会うことができた。命が消える瞬間を見る、というのも当時はなかなかに堪えたけれど。


そのあと母は「会える時に会わなきゃだめだ」と思ったみたい。両親の周りはだいぶ高齢になっていることもあり、会える時にはできるだけ会いに行ったらしい。


決して重い口調で言っていたわけでも、深刻にしていたわけではない。いたっていつも通りの会話の中での一幕だった。
いつもだったら私もふんふん、と流していたかもしれない。でも、その日はなぜかそれができなかったんだよね。
こうして帰ってきても心のどこかで考えている。


「またね」と別れたあとその「またね」が必ず来る保証はどこにもない。
それがだれかがいなくなる、ということではなくてももう二度と会えない人もいるかもしれない。


そんな当たり前だけど、毎日を過ごしているうちに忘れてしまいそうなことを改めて思い出させてくれたような気がする。


会いたい人には会える時にちゃんと会おう。
何度会ったっていいじゃない。
何度話したっていいじゃない。


余計なプライドや気持ちが出てきてしまいそうなときもあるけどさ、それって本当に大事なことなんだろうか。


なんだかそんなことを考えてしまうよね。
自分の大切にしたい気持ちに素直にいけたらな。


ちょっと重い話になってしまったかもしれないけど、要は「会いたい人に会いに行きましょう」って話。そこに駆け引きもなにもいらない。
って自分にも言い聞かせてます。


今週も一日おつかれさまでした。

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