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401. 一回でも神様に祈ったことはあったか?

以下の記事に、稲盛和夫氏についてのエピソードが書かれていました。

「一回でも神様に祈ったことはあったか?」
そのセリフの意味は、記事を読んでわかりました。

当時京セラで必死に仕事をし、毎日毎晩遅くまで仕事をしていた近藤氏から語られたエピソードです。

半年間休みなく働き、夜中も超えて早朝、うまくいかない開発仕事の結果に苦しむ近藤氏に、こんな言葉をかけたといいます。

「お前、一回でも神様に祈ったことはあったか?」

最初は「神様に祈ってなんとかなるなら、そんなに楽なことはない」と思った近藤氏だったが、やがてその意味に気づく。

「お前さん、あとは神様に祈るしかないというくらいまで、すべてのことをやったのか」

神頼みするしかないほど、万策尽きるほど、すべてをやりきったのかと。

その問いには、僕自身も身の引き締まる思いを覚えました。

必死に仕事をすればするほど、うまくいかないことばかり起こります。
うまくいくことはほんの一握りで、その瞬間のために仕事をしているようなもの。

まるで学生時代に野球をやっていた頃と似ているのですが、かといってうまくいかないことが立て続けに起こると気が滅入ることもあります。

ただ、そういうときこそ原因を自分以外の何かに押し付けることなく、自分の内なる部分に問いかける。

結果の原因は何だったのか、どの原因を変えると結果が変わるのか。

そのような考え方は建設的で、何度もそう考えて変化しようと鍛えています。

が、そもそも「すべてやったのか」という問いに心の底からはいと答えられるかどうかが大切だとも感じました。

あとは神様に祈るしかない。
そんな境地までやりきったことはあるかと。

考え得るすべてのことを考え尽くし、でき得るすべてのことを行動に移したか。
まだやれることは、考えられることは、できたことはあったんじゃないだろうか。

その全力さ、本気度が自分の成長と変化につながるのかもしれません。

ぜひ上記の記事は読んでみてください。

稲盛氏のフィロソフィ、仕事観、人生観の一端に触れることができると思います。

熱く生きる。
人として正しく生きる。
原理原則を生きる。

その生き方を大切にしつつ。

「時間がかかってもいいから、しんどいほうをやるんだよ。」

そうおっしゃる言葉の通り、時間がかかっても、原理原則に則り、正しく、王道に生きる。

あとは神様に祈るしかないほど、毎日懸命に過ごします。

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