見出し画像

涙が溢れなくて済んだドイツでのあの日



2019年の夏、音楽祭でドイツのツヴィンゲンベルクにいた。お城でのコンサートやレッスンなどが充実している講習会付きの音楽祭だった。

当時ウィーンに住んでいたが、中途半端な時間が流れていることが許せず、完全帰国することを決めていた。ウィーンで学べなかった分、ドイツの音楽祭での先生のレッスンで学ぼうと参加したが、焦燥感や、ブランクで、音楽に対する熱意とは反比例してすこぶる調子が悪かった。

ウィーンに行ったのも、入りたい学校があって、習いたい先生がいたが、日本で大学院を出てしまった年齢制限や学位が足枷になって入試すら受けれないことが留学のための渡欧1週間前にわかっていた。そんな中、絶望から始まったウィーン留学。習う予定でなかった先生とも相性が合わず、学びたいことが学べず、27歳で現地では年長の私には不満を解消するための選択肢は残酷にも、帰国すること以外用意されてなかった。

そもそも2016年にプラン通り留学できていればこんなことにはならなかった、ドイツはテロなんかなかったのに「あのときテロがなかったらね」と、後付けの理由で留学させてもらえず、両親は、ただ未知の海外への不信感があっただけで私の留学を反対した。私の人生構築は完全無視され、海外は危ないという漠然とした認識で止められた。ただそれだけだ。
親にとって私がバイオリンを弾くことは見栄だ。私の音楽へ対する熱意は、親にとっては箔付けの留学だと思われていたし、今でも私の仕事にリスペクトはないのは悲しいことだがわかっている。

正直、留学に反対した親を今でも恨んでいる。恨んだところで時間は戻ってこないので、秒針と一緒に先に進むしかないが。

私がバイオリンを弾いていく限り、2016年に学べたはずのものが学べなかった悔しさを一生抱えて生きていがなければいけない。

留学適齢期と言うものはあり、特にドイツやオーストリアの音大は若くなければ入学できない、どんなに弾けてもだ。適齢期を過ぎたら、もう同じ年代の音楽仲間と同じ環境で切磋琢磨することも出来なくなる。その代償は音楽人生において途轍もなく大きい。挑戦したかったコンクールも、一緒に学んできた仲間との室内楽も、叶わない夢となって儚く消えていった。

そんな中、少しでもなにかを得て帰りたい、と音楽祭に参加した。

留学予定だった2016年、留学の下見で訪れたドイツでたまたま出会えたヴァイオリニストの先生が開催している音楽祭で、レッスンを受けたりコンサートに出たり、音楽に浸れる日々を送れると思っていた。

ただ、そこで報われない努力を痛感する。
周りはドイツで学んできた音大生。勉強量が違う、というか学んできた環境が違う。私が見たい世界をみた彼らに対して、どんなに練習しても拭いきれないコンプレックスが発動してしまった。

ドイツに留学することでしか学べないものがあることは痛いくらい知っていたが、わたしは親の反対で日本に留まることしかできなかった。
ただ、音楽にも周りにもそんなこと関係ないのだ。

調子が悪く全然弾けない。次こそはとレッスンで気合いを入れ過ぎて先生の意図を汲み取れない。練習量の問題ではなく、私のこれまでの人生が無かったものとして感じられた。

最後のホールでのレッスンで、絶対に頑張らなきゃと空回りしすぎた私はマチネに出させてもらえなかった。

レッスンが終わった後、予定より遅れて行ったウィーン留学で何か得たかった私は、元々なにも得られるはずのないものだったことに気づいてひどく落ち込んだ。私の人生なんだったんだろう、と。

涙を溜めてステージから降りると、客席で1人で聴講していた男性から自己紹介もそこそこに話しかけられた。

「いまお城での室内楽のレッスンがあってますけど、一緒に聴講しに行きませんか?」

自分の世界に入りそうになってたところ、急いでよそ行きの顔にして涙を引っ込めた

私は、「行きます!」と即答した。

その男性はドイツに住む日本人の方だった。アマチュアでバイオリンを楽しんでおり、娘さんもバイオリンをしているそう。私がレッスンを受けた先生にもレッスンを受けているそうで、先生とも長い付き合いらしい。お城に向かう車の中で話してくれた。

レッスンでの私の演奏を聞けば私がどれだけ焦ってどれだけ神経質になって絶望を抱えていたかわかっただろう。

連絡先を交換して、後日メールをくれた。

先生に褒められても私にとって褒められていると認識できないくらい差し迫った状況だった。

彼に声を掛けてもらったお陰で涙を溢さずに済んだ。楽器を片付けるために下を向いていたらいつか涙が止めもなく溢れてしまっていたことは予想できる。

きっと私の落ち込みを見て声をかけてくれたんだろう。また久々連絡してみよう。


あそこで泣いてたら、過去を後悔して、留学と一緒に音楽も辞めていたかもしれない、とまた別の未来を考えた。それでも、人生は1回しかない。

でもまだ人生は続くし、私はまだバイオリンにしがみついて生きていく。

ツヴィンゲンベルクで見た夕日が美しかった

この記事が参加している募集

私の遠征話

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?