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最近学んだ事


今日映画『フェイブルマンズ』を観てきた。
スピルバーグ監督の自伝的作品で、予告の段階からワクワクしてた。映画館に足を運んだのは映画付きの私にしてみれば、久々だった。大体1ヶ月程度空いていたと思う。

映画には上手く言えないけれど、不思議な力があるよね。見終わった時には、落ち込んでいた心もなんだか前向きになれるし、何気ない登場人物の言葉にハッとさせられて、今の自分の悩みを解決するヒントが得られたりもする。私が好きなのは、映画の画面には一応集中しているのだけど、意識が自分の内側に入って、暗闇も相まってなんだか瞑想状態のような不思議な感覚になれること。一人で映画を観ながら考え事をするのが好きなんだなー
スピルバーグ監督の映画が好きな気持ち、
僭越ながら分かるような気がした。私も映画好きを活かせたら良いのになー。
映画とは関係ないところで、YouTube?かなにかで、言ってたけど、才能は名詞ではなく、動詞にあるらしい。

あと、私は自分に意識が向いてしまうことが往々にして多い。例えば、冠婚葬祭でスピーチや弔辞なんかを任されたとしよう。任された側は正直プレッシャーはある。失礼があってはいけない、下手だと思われたくない…。何でこう言う時に限って自分なんだ、とか。
私は未熟だからすぐそんなことを思う。いやだいやだいやだーってなってしまうかもしれない。笑
でも、違うよね。勿論忘れてる訳じゃないけど。
誰のためかってことをよく考えて。自分なんかその場においてはどうでもいいのだ。その人のために何ができるか、どう貢献できるか。お世話になった事、感謝してる事、もう一度そこをよく考え直していくと、
自然と余分な肩の力がほぐれてくる気がする。
本末転倒にならないように。

そして、ここ数年私は物を満たすことに多額?を費やした。笑 お気に入りの物に囲まれているのって悪くない。凄く幸せだ。だけど、今年からは少しシフトチェンジということで。物より体験にお金を使う方がやはりいいようだ。物は物が届くまでがドーパミンによって幸福度が高まったように高揚感のピークに達する。体験は、時間が経っても思い出となってあなたの心を優しく包むことでしょう。お金を使って物を買うと、「気」を買ってしまうらしい。ダイエットマシンを買うと、ダイエットした「気」になってしまい、
それだけで満足してしまうとか。そうではなく、
お金を使う前に、お金をいかに使わずに、楽しみを得られるか。そこの模索するところが非常にミソみたいですよ。

そして、私は常に合理的に生きられたらいいのになって思っているのですけど、中々そうはいかないね。
ある人によると、世の中は合理性と非合理性が半分半分らしい。もしかしたら、合理性を求める人が私だけではなく多くの人が求めている世の中なのかもしれない。でも、考えてみたら、合理的な人生って実はつまらないものなのかもしれない。きっちり、栄養管理ばっちり、就寝時間ばっちり、無駄なことは一切せず、健康的、お金を貯めるためにどこにも行かない。。
これは極端な例えかもしれないが、合理性を突き詰めていくと、結構ホラーかも。👻味気ないよねなんだか。非合理性は嫌われるけど、余分なことの中に、
あなたらしさや、オリジナル性、味が出るのだと。
合理性を求めるだけではなくって、逆の部分に意識を向けてみるのも面白いのかも、


長くなったなーノートの走り書きみたいな感じでーす

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