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抜刀斎と剣心を繋ぐ佐藤健の凄み 『るろうに剣心最終章 The Beginning』

『るろうに剣心最終章 The Beginning』について触れる前に、当時の長州藩を取り巻く状況を語るのに欠かせない、実際に起きた幕末の事件が本作には登場するため、ざっと史実のおさらいをしておきたい。

長州藩を中心に幕末の時代の流れを追うことで、抜刀斎の生きた時代の長州藩はどんな感じだったかを、大まかに紹介してから映画の話に入ることにする。

るろ剣

『るろうに剣心最終章 The Beginning』で扱われているのは、1864年ごろ。長州藩は前年の八月十八日の政変で天皇の周囲から排斥され、京都の攘夷派勢力が勢いを削がれているころである。ただしそんな中でも、長州五傑と言われる若者5名を英国に派遣し、進んだ技術を取り入れようとしていたことは注目に値する。

作中で触れられている池田屋事件から禁門の変のあたりの流れは、もともと攘夷の決行に慎重だった桂小五郎が、京都にいる藩内の急進派を抑えられなくなった、ということを示している。

禁門の変を抑えられなかった小五郎はこの後、但馬(兵庫県あたり)へ逃れて潜伏し、藩の政権を俗論派(保守派・佐幕)に譲って時を待つ。高杉晋作による藩内クーデターが成功した後に再び長州の指導者として迎えられる。以後、欧米列強に戦いを挑んだ結果完敗したこともあり、長州藩の政権は正義派が中心となって、開国・倒幕へと傾倒していく。

つまり、この作品で描かれている時期は、ちょうど抜刀斎のいる長州藩が大きな時代の流れの中で、揺れ動いた時期なのである。

見どころその1:映像の美しさ

清里を斬るシーンで散る桜、抜刀斎が佐幕派の集まる宴席で刀を振るい、鮮血に染まる白い菊と掛け軸、桂小五郎が巴に「緋村を頼む」とお願いをするシーンでうっすらと視界に入る雪、闇乃武の頭目・辰巳と対決する山中での、視界を奪う雪。作品全体を通じて、印象深いほどの美しさを感じた場面が、脳裏に次々と浮かんでくる。

他の映画『るろうに剣心』シリーズ作品では、ド派手なアクションシーンが印象に残っているが、本作で印象に残っているのは、芸術作品のような画ばかりだ。


見どころその2:「抜刀斎」の佇まいに見る俳優・佐藤健の凄み

『るろうに剣心最終章 The Beginning』で描かれるのは緋村剣心ではなく、人斬り抜刀斎として、彼が幕末の京都で暗躍していた時代だ。

のっけから驚かされるのは、その修羅のごとき強さだ。
登場シーン。後ろ手に縛られていながら「死んでもらう」と言った後の立ち回りの凄さ。まあ、刀を持っていなくても強いのだが、倒れた侍の一人から口で刀を抜き取った後は、目にもとまらぬ速さで斬っていく。

絶対、敵に回したくない。ぞっとするほど強い。

そして、これまでの「るろ剣」作品と違うのは、佐藤健さんの視線と歩き方である。
姿勢は良いのだが、どこをどう歩いていても伏し目がちだ。まるで誰とも目を合わせないと、決めているかのように。

また、歩いているのに音がしない。聞こえてくるのはわずかな衣擦れの音だけである。勿論、砂利道を走るときなど絶対に音がするときはあるのだが。

清里(窪田正孝さん)を斬ったとき、何度斬っても「死ねない、死ねない」と立って向かってくる彼に対して、わずかに感じた恐怖がにじみ出る。頬に傷をつけられたことを知った時の、誇りを傷つけられた表情からとどめを刺すシーンに、ああ、これは「人斬り抜刀斎」であって剣心ではないのだなと感じる。

新時代のために人斬りを続ける抜刀斎の心には、幾度か変化が訪れる。巴から人を殺め続けることに対して苦言を呈されたとき、巴が飾った花に気づいたとき。

そして大きく抜刀斎の心が動かされたのは、私が確認できた限りでは2回。池田屋事件の時と、最後に闇乃武の頭目・辰巳と対決する時である。

新時代を築くために剣を振るってきた抜刀斎が、剣を振るえば振るうほど、佐幕派の恨みを買ってしまい、結果として仲間である長州藩の急進派や、取り立ててくれた桂小五郎や、大切な人である巴を失う危機に瀕する。

抜刀斎は、「自分はいったい何のために人斬りをやっているのか」が分からなくなってしまったのではないだろうか。

そんな抜刀斎を癒し、人間らしくしてくれたのは、巴と過ごしたかけがえのない時間だった。野良仕事の合間に笑顔を浮かべ、布団で寝られるようになったのは、紛れもなく巴のおかげだ。

だからこそ、巴の死を超えても修羅の道を進まざるを得なかったことに、胸が抉られるような思いを抱いてしまう。

見どころその3:有村架純の体現する雪代巴

登場シーンはほぼ漫画原作の通りで、セリフもそのまま。原作へのリスペクトが随所に感じられる構成は、これまでのるろ剣作品と同様である。

そして、有村架純さんの女優としての不思議な魅力が、この作品でもあふれている。

可愛らしいルックスからは想像できない芯の強さと、ある種の強情さを役の中で同時に成立させ、こちらに見せてくる。表情はほとんど変わらない。しかもその強さは、何物をも寄せ付けない強さではなくて、とてもしなやかなのである。

毎日、不平一つ言わず働く
他の長州藩士にも分け隔てなく接する。愛想はない
危うく斬られそうになってもそばにいる
凛とした姿で日記を綴る(筆の持ち方・運び方も素晴らしい)
言葉には出さず、表情だけで不満を示す

何と言ったらよいか・・・すべてが、雪代巴だった。

ずっと、抜刀斎のことを「あなた」と呼ぶのだけれど、最後の「あなた」はyouではなくて明白にdarlingだった。心が震えた。

見どころその4:高橋一生が命を吹き込んだ「桂小五郎」という男

抜刀斎が人斬りという修羅の道を選ぶキッカケになったのは、奇兵隊への参加だった。高杉晋作(安藤政信さん)に見いだされ、桂小五郎(高橋一生さん)が手駒に使う。

映画『るろうに剣心』シリーズの中ではあまり出てこない、実在の人物。桂小五郎は明治維新以降も木戸孝允として新政府中枢で活躍し、維新三傑の一人に数えられた人物である。だがちょうど本作で描く時代は、幕末から明治にかけての傑物である桂小五郎であっても、時代の流れに翻弄され、身を隠さざるを得なくなった時期だ。

高橋一生さんは、作品によって声を変えてくることがしばしばあるが、本作では普段の話し声とそう変わらないトーンの発声をしている。私が注目したのは、表情と方言の出し方である。
巴を説得するとき、絶妙な笑顔と人懐っこい長州弁を繰り出すのだ。

藩内では「開国を前提にした攘夷」を唱え、誰よりも早く英語をマスターし、新政府成立後は伊藤博文に「長州人の中で交際の広いことは木戸公の右に出づるものはなかった」と言わしめた人物だ。人の心を掴むすべを心得ていたに違いない。

本作における桂小五郎は、時代の流れに翻弄され、己の果たす役割に疑問を持つ抜刀斎と対を成しているように思える。

かたや、新時代を作るための情報収集と判断力・決断力に長けた傑物。常に大きな目的を達するため、行動する男。
かたや、新時代を作る末端で血にまみれる覚悟を背負いつつ、「幸せとは何か」と心が揺れる若者。

最後、あばら家の軒先で抜刀斎の話を聞きながら、小五郎が絶妙な量の涙を目に湛えるところも、印象に残っている。

本作の主人公は抜刀斎(剣心)なので、桂小五郎はあくまで脇役なのだが、高橋一生さんの演じる桂小五郎があまりに魅力的で、もっともっと観ていたくなる。ここから、時代の荒波をどう乗り越えていくのか、知りたくなってしまう。

ちょっとした不満というか疑問

有村架純さんは声が素敵だし、ナレーションの仕事も合うように思うので、彼女に日記を読ませたいのは分かるのだが、あのシーンは蛇足ではないだろうか。

鏡をみて涙するのが何故かということや、最後の日の思いは日記に記された「命に代えてもお守り申す所存にて候」という映像でちゃんと示せている。

日記を読むシーンは本当に必要だっただろうか?と感じた。

終わりに

素晴らしい表現者のお芝居を、存分に堪能できる作品に仕上がっている『るろうに剣心最終章 The Beginning』。これまでの作品で観てきたワイヤーアクションバリバリの殺陣で魅せる活劇という要素はほぼなく、素直に名優さんたちのお芝居と映像美を楽しむ、至高の芸術品に仕上がっているように思った。

人斬り抜刀斎の終わり、そして、緋村剣心の始まり。
終わりは始まり。まさに剣心としての『The Beginning』である。
最後の鳥羽伏見の戦いの場面で、よろよろと歩く抜刀斎。一つの時代の終わりを歩き方ひとつで表現する佐藤健さんに、また心を奪われる。

映画『るろうに剣心』について、主演の佐藤健さんは「完結ではなく完成」、と語ったそうだ。言葉のチョイスに唸ってしまう。

個人的には、この後の桂小五郎(木戸孝允)のスピンオフが観たい。高杉晋作も登場してくれたらなお嬉しい。可能なら、作っていただけないものだろうか。どこかの動画配信サービスでの限定配信でも良いから、是非観てみたい。

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