『明けない夜がありますように』というエッセイを制作中です/サンプル 「本をつくろう」

日付が変わり、夏休みが終わりました。

今年中に『明けない夜がありますように』というエッセイをつくります。
景気付けにSNSのプロフィールを一式更新し(仮)、春夜眠という新しい名前を自分に付けました。はるよるねむると読みます。

エッセイには、2023年8月にnoteに書いていた夏休みの日記と、それとは別に書いたり書かなかったりしていた日々の思考についての文章を載せる予定です。

ちいさな本になると思うけれど、頑張るので完成したら読んでください。


以下、収録予定の文章です。本をつくるぞ、という所信表明!


本をつくろう 

 生きる価値。というか、こんなにも苦しい社会の中で自分という人間を生かす価値。それをずっと考えている。価値ってなんだよって思うけど、多分、求められることだ。稀少性のことを言うなら、人間は誰でもどこまでいったってその人でしかなくて、他の人はその人ではないから、同じでも同じじゃないから、みんな等しく唯一で、そんなのは意味がない。そんなものでは満足できない。私には需要がなかった。常に仕方なく、不足分を少しでも補うためにそこにいた。委員会でも部活でもバイトでもいつだってそうだった。求められているのは私じゃなくてもっとちゃんとできる人だったけれど、「ちゃんとできる」はとても貴重でいつも足りなかったから、それを埋めるために私はそこにいた。そして今もここにいる。

 でも求められなきゃ、どれだけ私が私を愛していてもそれはただの本能で、私は動物ではいたくなくて、動物としての正しさが、生存が正義だと思いたくない。本能じゃだめだった。本能を否定してもなお自分が生き続ける意味が欲しい、価値が欲しい、誰かに求められたい、自分で自分の生を求めたい、生きていたい、生きていなければいけないと思いたい、本当はすぐにでも死んでしまう方がいいのに紛れもなく私自身の弱さのせいでずっとずっと生きながらえている。本能だった。私はそれを正義だと思いたくない。死んでもいいから生きる意味が欲しい。生きることに価値を見出したい。価値なんてって言うやつはほっておこう、そいつらには生きる価値があるから求めなくて済んでいるだけで、本当はみんな生きる価値があるから生きているか、やっぱり本能に生かされているかどちらかなんじゃないの、見つけられるのは足りないものだけで、もう持っているもののことは考えないから。そう、足りないもの、私には何も足りていない、でも足りないものがあってよかった、足りないものがあるからいろんなものを好きになれた、絵や、本や、音楽、月、海、花、人? おいしいものとか、あったかい布団とか。私では足りないからそういうものたちを好きになった。決して完全にはならないけれど、欠けているところを埋めるみたいにいろんなものに出会って好きになってこられた。弱さはずっと私の宝物だった。弱さのおかげで好きなものと出会って、一人だったおかげでたくさん抱えて歩いてこられた。それに、私の後ろにはいつもうずくまっている私たちがいる。彼女たちがうずくまっているのは弱さのせいだけれど、私が弱さを捨てて強い人間になったら、彼女たちはもう誰からも見えなくなってしまう。忘れられてしまう。忘れられてしまうってことはいなくなるってことで、でも本当はいるのに、ずっとそこで泣いているのに、いないことにされてしまうってことだ。だから、弱さは捨てちゃいけない、忘れたくない、絶対忘れない。でも、でも弱い奴はいらない。社会には弱い奴の居場所なんてない。居場所がないのにいてしまうから、ずっとずっと苦しんでいるんだ。だから、弱いまま生きる意味を、弱いままの人生の価値を探そう、つくろう! だからそのために、本をつくりたい。私の本を。

 本能を嫌って、救われることを怖がって、夢とか希望とかそういうものを遠ざけて、求められたいと思うことを隠して、一人でいいって強がって、そういうダサくてみっともなくて気持ち悪くて救いようのない私を、それでもそのまま大事にするために。私が私を無かったことにしないために、本をつくろう、です。


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