見出し画像

何気ない日常の家族のハナシ。

10年ほど前に描いてメモに残してた話。

なんでかわからないけど、今、久しぶりにみつけて読んだら気に入ったので、ここに載せておこうと思います。ショートエッセイみたいな感じかな。

確か自分がエスプレッソマシーンを買って嬉しかった時に思い浮かんだ物語だったような。

コーヒーと共にほっこり心も温かくなる。そんな、どこにでもある家族の話。

☕️☕️☕️

「最近ね、とても良いエスプレッソマシーンを購入したの。」

実家の母から一本の電話がかかってきた。

その声はとても弾んでいて、父が他界して以来、久々に聴く嬉しそうな声だった。

正直、驚いた。「日本人は日本茶が一番!」そう言って、普段からコーヒーすらあまり口にしなかった母が、…エスプレッソ?

青天の霹靂だ。一体何が起きたのだろうか。

家でお披露目会をするからと、妻ともうすぐ3歳になる娘と共に、久しぶりに実家に出向くことになった。

家から実家までは、車で30分もかからない。

正直、妻と母はあまり仲がよくない。陽気で自由奔放な母。好き勝手な母に、妻は気を遣いうんざりしていた。

父が他界して、もうすぐ一年。持ち前の陽気さはいつの間にか影を潜めていた。しかし、久方ぶりにその元気な声を聞き、少し安心した。

渋る妻をなんとかなだめ、娘の手を引いて実家の玄関扉を開けた。

「いらっしゃい、3名様のご予約、お待ちしておりましたぁ〜!」目の前には、陽気な母。一丁前に花柄の短い腰巻きエプロンを巻いている。バリスタにでもなったつもりなのだろう。

居間に通され、その例のブツのお披露目だ。

「ジャ〜ン!どう?素敵でしょう!」

洗練された白を基調とした丸いフォルム。キレイに敷かれたテーブルクロスのど真ん中にそれは鎮座していた。
「ささ、座って座って!」

早く飲ませたくて堪らないのか、少し強引に席に座らせられる。
「ママぁ、これからなにがはじまるのぉ〜?」
「なんだろうね〜楽しみね、見ててごらん」

そんな、妻と娘のたわいもない話を聞いていると、母がお盆の上に何かを乗せて持ってきた。どうやら、カプセルのようだ。
「じゃあ、はじめるわよ〜!」
銀色のレバーを引き上げて、中にカプセルを入れ、スイッチを押す。
ウィーンと、抽出音を立てて、デミタスカップにゆっくりと液体が注がれていく。挽きたてのなんとも香ばしいエスプレッソの香りが部屋いっぱいに広がっていく。
「あ、いい香り…」
妻が呟いた。母がニッコリ嬉しそうに微笑む。

「ね、この上のうっすら白い泡を見て。これはクレマと言って、イタリア語でクリームという意味よ。甘さの元になっているの。この泡が美味しいエスプレッソの証なのよ〜!」

どこで聞いていたのか。まるで店員のように流暢に話す母。

ひとしきり蘊蓄を話した後、妻と自分の目の前にデミタスカップが置かれた。娘には、またまたイタリアから直送されたとかなんとかのブドウジュースだ。

「じゃあ、いただきます…」

そう言って、カップに口をつけようとした瞬間、
「あ! ちょっと待ちなさい!!」

母が大声で制止する。その声の大きさに身体がビクッとしてしまった。
あまりの慌てように、何事かと思ったが、母はお盆に置かれていたもう一つのものを持ち出した。

「これよこれ!このお砂糖がなくっちゃ始まらないんだから」

…砂糖?

「あら、お義母さん、通ですね…!」

妻がそう言った。母もその妻の様子に満足そうだ。
どうやらイタリアでは香りを楽しんだ後、クレマに注意しながらデミタスカップに砂糖を入れて飲むのが主流だと言う。

スプーンで2杯程の砂糖がカップに入れられる。

「ここで、ポイントよ。絶対に混ぜないこと!そのまま頂くの。そして、最後に残ったお砂糖をスプーンですくって召し上がれ。とっても贅沢な味なんだから。」
自分に向けて、自慢気に母は語る。

そういえば、妻は結婚する前に2度ほどイタリアに行ったことがあると言ってたのを思い出した。

「あ、…美味しい!すごいっイタリアの本場の味そのままですね!!」
懐かしい!と、妻が少し興奮気味に言った。

「でしょう!私も初めて頂いた時にビックリしたのよ。お父さんとね、新婚旅行で行ったイタリアで飲んだ味にそっくりだったんだもの!現地以外でこの味に出逢えるなんて思ってもいなかったから、感動しちゃった!」
母も嬉しそうに語る。

なるほど、そう言うことだったのか。


これは、亡き父と母の思い出の味。


これを飲むと、あの時の初めてイタリアで飲んだ感動と楽しかった旅の思い出が蘇ってくるのだそうだ。
現地でしか本場の味を楽しむことが出来ないと思っていた母からすると、この出会いはかなりの衝撃と喜びだったに違いない。
なまじ、このブツは金の無駄遣いって訳でもなさそうだ。
何よりも母が元気になったのだ。

イタリアに行ったことのない自分と興奮気味の妻と母に温度差を感じながらも、なんだか意気投合する2人の姿に思わず口元がほころぶ。

「ママとばぁば、なんだか楽しそうね」

その姿を共に見つめる小さな天使を引き寄せ、ギュッと抱きしめる。

今日の日を境に、実家に訪れる機会が増えた。


……

チンチーン…

仏壇の鈴の音が鳴り響く。


「父さん、こっちは、ま、元気でやってるよ」
 

香ばしいエスプレッソの香りが今日も部屋いっぱいに広がってゆく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?