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雨の世界

昨日が「風の世界」なら、今朝は「雨の世界」だった。起きる時にはすでに降っていて、家の中が美しい雨音に包まれていた。

こどもの頃から、何となく、ぼくは雨が好きだった。

小学1年生の頃、大雨の日の放課後に教室に残っていたら担任の先生がオルガンを弾いてくれて、そこにいたクラスメイトたちと歌をうたった。ぼくは吃音で思うように喋れなかったが、歌は得意だった。その時、外が雨だった、というのははっきり覚えているわけではないが、雨でないといけないような気がしている。

屋久島には小学生の頃に1回だけ行ったことがあり、夏に1週間くらい滞在した。世界遺産に登録されて、観光ブームが訪れる前の屋久島だった。その1週間、ぼくたちは地元の小学校の体育館に寝泊まりして、周辺の山や川で遊ぶ予定だったが、とにかくずーっと雨が降っていて、川で遊べたのは1日だけだったのではなかったか。しかし屋久島で体験した"たくさんの雨"は心に残ってる。

これは美しい雨の記憶とは言えないかもしれないが──こどもの頃、父の田舎に行く度にかわいがってもらっていた、父の叔母にあたるおばあちゃんが、小学5年生の時に突然、亡くなった。物心ついて以来、はじめて見る"人の死"で、とても怖かった。父の従兄弟の家で行われた葬儀にぼくも参加した。その日、雨が降っていて、ビニール・シートにたまる雨水が妙に臭かった。何の匂いだったのか。

中学生のぼくは天文少年で、双眼鏡や望遠鏡を買ってもらって星空を見に出かけていた。その頃、雨は嫌いなものだった。つまり天候に左右されるものなので、嫌いと言っても関心があるわけで、ラジオの気象情報に耳を傾けたりもした。

中学三年の夏、後に"8・6豪雨"と呼ばれる大雨がぼくの故郷・鹿児島を襲った。その日、ぼくは家から自転車で10分ほどのところにあった塾に行っていて、雨がひどいから早く帰れと言われて友達と一緒に帰ったが、その途中には永田川という川がある。見たことがないくらい水量が増えていて、渡りながらちょっと怖かった。その頃、鹿児島市の中心部を流れる甲突川が氾濫して、街が水につかり、家は床上浸水し、繁華街の一階より下にある店は水に沈んだ。崖崩れがあちこちで起り人がたくさん亡くなった。これも美しい雨の思い出ではないが、その時、現代の街が雨と川という自然を想定しないでつくられていたと知って呆れた。

大学生になったぼくは鹿児島を離れて大阪でひとり暮らしを始めた。その時住んでいたのは大阪と言ってもど田舎で、部屋の窓を開けると外はビニールハウスの畑だった。その環境が、ぼくにはよかった。雨や風の音に敏感になることは、心地のよいことだった。虫たちの声やカエルの鳴き声を聞いているのが好きだった。からだの中に季節を知るアンテナができた。

その頃、雨の歌のレコードを収集して聴いた。雨にまつわる歌、音楽は世界中にものすごくたくさんあり、興味が尽きない。音楽ではなく雨の音そのものを収集したレコードにも関心をもった。気候や地域によって雨にもいろいろあるから、雨音もいろいろだ。

文学を志す若者だったぼくは当然、ことばで表現された雨にも興味をもっていた。古今東西の文学作品の中で、雨がどんなふうに描かれているかを研究して(研究というほどのもんじゃないですけど)、自分でもあれこれ書いてみていた。話は詰まらなくても雨の描写だけは見事だ、というのを目指した。

今日は「雨」で思いつくことをあれこれ書いた。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、2月6日。本日は、梅の花。※毎日だいたい朝に更新しています。

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