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【特集】『アフリカ』vol.35(2023年11月号)のライナー・ノーツ

でも実際に映画を撮ってみるとしよう。すると、映画を作る必要などない。キャメラが廻り始めるや、映画はひとりでにできあがる。キャメラを手にして走らざるを得なくなったら、何かがうまくいっていないのだ。(ジャン・ユスターシュ)

さて、『アフリカ』vol.35(2023年11月号)、恒例の"ライナーノーツ"を書いてみます。いつも以上に長文になりそうですが、一気に読まなくてもいいので、ぜひゆっくりとお付き合いください。

その裏話は、「水牛のように」11月号の「『アフリカ』を続けて(29)」でも書いています。重複するところもあると思いますけど、ここでは誌面の一部を写真で見てもらいつつ、最初のページから順を追ってご紹介します。

その前に、『アフリカ』って何? といういつもの話ですが、あらためて…

(左から)『アフリカ』vol.29、30、31、32、33、34

簡潔に言うと、私・下窪俊哉が読みたいと思うものを折々に集めて、つくっている雑誌です。
書いてほしいと思うひとに声をかけて、つくっている、と言った方がよいかもしれません。何を読みたいかは、自分でも初めからわかっているわけではないからです。
書きたいと思った人が、自ら送ってくる場合もあります。それがそのまま載るかどうか、わかりませんが、メールのやりとりなどの付き合いができて、書かれたものが面白いと思えばけっこう何でも載せます。
執筆者のなかには毎号のように書いている人もいますが、たまに書く人もいるし、一度だけ、あるいは一時期だけ書く人もいて、出たり入ったりしています。
同人雑誌的(同人雑誌の精神を受け継ぐもの)ですが、同人制はとっておらず、つまり同人でつくっているわけではありません。あくまでも私の、個人的な雑誌、プライベート・プレスなどと呼んでいます。

(なぜ「アフリカ」なのか…? それはもうあちらこちらで書いて、話してきているので、今回は省略します。意味はないようで、少しあるような?)

表紙にはいつも「アフリカ」という誌名と、発行年月のみが記されていて、切り絵(を画像化して印刷したもの)が置かれています。
──と、いつもならお話しするところですが、先日お知らせした通り、切り絵の作者である向谷陽子(むかいだに・ようこ)さんが8月末に急逝してしまいました。事故に遭う前に、つくりかけていたものはあったかもしれませんが、ついに新作は届かなかったのです。

向谷陽子の切り絵(原画を適当に並べて撮影した2015年夏の写真)

ということは、表紙に切り絵は、ない、ということになります。切り絵がないまま「アフリカ」の文字だけがある、辛いけれど、それが現実なのだから受け入れて、それを追悼の表現としよう、などと考えていました。が、これまでに受け取っていた全作品のデータをくり返し見るうちに、気持ちは変わりました。これが現実などと物分かりのよさそうなことを言って受け入れるのは、やめ! 彼女は生きている。死んだというのはじつは嘘で、ある日突然連絡が来そうな気もするし、少なくとも作品のなかには生きている。とりあえず今回までは一緒につくろう、ということにしました(そのあたりのことも「水牛」に詳しく書きました)。

その結果、今回はなんと、表紙には切り絵だけを飾ることにしました。

『アフリカ』vol.35、表紙

これはもともと、vol.25(2015年7月号)のために切られた作品で、そのときは裏表紙に使われていました。

『アフリカ』vol.25(2015年7月号)

装幀の守安涼くんは今回、この孔雀を見て「こんなのあったっけ?」「どうしてこれを表紙にしなかったんだろう?」などと言っていたのですが、その話にはつづきがあり、それはまた「水牛」12月号に書くつもりです。


『アフリカ』vol.35(2023年11月号)

さて、頭から順を追って、ご紹介しましょう。まずはp1、

『アフリカ』vol.35の最初のページ

今回は自転車の切り絵とともに、Y・Mさんによる「晴れた雨の日(1999)」という詩(?)があります。これはじつは歌詞なんです。
学生時代に私はコーラス・グループをやっていたことがあって、編曲をやるついでに歌もつくっていたのですが、Y・Mさんによる歌詞の曲がいくつかありました。なかでも一番気に入っていたもの。
でもね、そんな昔の作品を掘り起こして『アフリカ』に載せるなんて、恥ずかしいから! と言われそうなので、イニシャルにしました。作者が誰かは、もうおわかりだろうと思います(そんな頃からの付き合いでした)。
いま、この歌詞だけを見ると、これは20歳の頃の、彼女から見た私のイメージ、印象だったんじゃないかという気がします。

ふたつの扉

『アフリカ』はいつもp1からいきなり始まっていて、トビラページはないのですが、今回は表紙にタイトル文字がないので、設けました。なぜなら、扉の切り絵を載せたかったから! これはvol.20(2013年7月号)のために切られた作品です。『アフリカ』に入る扉はひとつではない、ふたつ、あるいはもっと?

スタッフ(?)クレジットのページ

いつもトビラはありませんが、目次はあります。目次は、つくるのも、眺めるのも、好きなんです。
その隣には、お馴染みのスタッフ・クレジットのページもあります。いつものように、途中から怪しい団体が増えますが…(密かなファンの多いページです、なんちゃって)

犬飼愛生「ドレス」、タイトルまわり

さ、ここから本編です。まずは犬飼愛生さんの詩ですが、新シリーズが始まったらしい(何の相談もなく、いきなり来るあたりが面白い)。「こどものための詩シリーズ① ドレス」ですが、前号の「寿司喰う牛、ハイに煙、あのbarの窓から四句」とはまた全然違う、新境地というか、タイトル通りこどもに(も)読めるように書かれたやさしい作品。

なんでわたしは背ぇも高くて
からだもほかの子より大きいんやろ

犬飼愛生「ドレス」より

犬飼さんは京都出身なので、そんなふうに、ところどころ関西弁が出てきます。ぜひ声に出して読んでほしい。誰のなかにも「こども」は、いますね?

戸田昌子「喪失を確かめる」、最初の2ページ

戸田昌子さんは『アフリカ』には初登場ですが、以前、私の作品集『音を聴くひと』に短いコメントを寄せてもらったことがあり、今年の春には戸田さんのインスタライブに呼んでもらって、お話しもしました。そのときの対話は、「水牛」の「『アフリカ』を続けて(23)」で読めるのですが、戸田さんのこんな発言がありました。

そういえばどうして今日、呼んだのかというと、理由のひとつには、私もそこに書きたいという気持ちがあるんですよ。

「『アフリカ』を続けて(23)」より

その数ヶ月後、届いたのは「喪失を確かめる」でした。「いくつかの死」をめぐるエッセイで、後半は「外部から眺めるしかできなかった喪失の出来事」として、戸田さんがたまたま遭遇した9.11のニューヨークへゆきます。

言葉にならない喪失の体験があった。わたしは、それについて、決して書くことができないと思う。ひとの死は、抱きしめることでしか、受け止めることができないが、それが焼けつくような痛みを伴うことがある。

戸田昌子「喪失を確かめる」より

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きたとき、戸田さんはニューヨークにいて、語学学校で午前中の授業を受けていました。すぐ近くに住んでいたそうなので、そのまま帰宅していたら、もっと違う9.11の街案内になったかもしれません。しかし、そんなことを計画して行動したわけじゃない、その場で起こり、巻き込まれ、連なってゆく成り行きを、書き手はどこかで信頼しています。
そして、それを書くことが、どういうことなのか?
ここには戸田さんが追悼集会に出かけて撮影した写真も1枚、載っているのですが、そこで写真を撮るということが、どういうことなのか?
これは個人史から捉えられた文章論であり、写真論でもあるんだ、と感じながら私は読んでいます。

向谷陽子「『アフリカ』の切り絵 ベスト・セレクション」、最初のページ

後からわかったことですが、「喪失を確かめる」を受け取って、私が最初に読んだ夜、その直後に向谷さんは亡くなっていました。これは個人的な思い入れの話になりますが、その死を受け止めてゆく時間の流れに、「喪失を確かめる」というエッセイが寄り添ってくれました。

今回は、その向谷さんが『アフリカ』に遺した切り絵を、振り返りつつ、たっぷり掲載しています。
これまで『アフリカ』は100%モノクロ印刷でしたが、今回初めて、カラー・ページも登場しています。

カラー・ページの入り口

向谷さんのコメントは主に、2013年に珈琲焙煎舎で開催した「『アフリカ』の切り絵」展に寄せられ、展示したものです。

「『アフリカ』の切り絵」展(2013年7月)

「主に」と書いたのは、ひとつだけ例外があり、直近のコメントもあります。探してみてください。2014年以降の作品については編集人(私)がコメントして、制作の舞台裏を伝えるものにしてあります。

切り絵については、文末でさらに触れます。

下窪俊哉「ハーモニー・グループ」、最初のページ

つづいて、私の短編小説「ハーモニー・グループ」。自分の体験をモデルに書いたものではなくて、昔から愛聴しているDoo Wop(ドゥー・ワップ)のレコード──つまり'50年代〜'60年代前半のアメリカの都市部で流行ったR&Bヴォーカル・グループへの幻影、妄想から書きました。

ぼくたちが歌っている後ろを、たくさんの足音が流れてゆく。そのリズムの上に、ハーモニーを飛ばす。街のリズムは一定しないが、しかしどんな不規則なところにもハーモニーは入ってゆける。

下窪俊哉「ハーモニー・グループ」より

Doo Wopは街角のシンフォニー(street corner symphony)と呼ばれますが、後の時代のリバイバル・ショーの写真や映像はあっても、当時、実際に街角で歌っているものは見たことがありません。その筋ではたいへん有名な『The Doo Wop Box』のブックレットを見ても載ってない。見ることができるのは、いろんなグループの記念撮影か、人気が出てステージで演奏している写真です。
私の場合は、そこでガッカリするのではなく、それなら、よし、小説で書いてみよう、となるんですね。
ただし今回、Doo Wopの街風景(?)を書いてみようと思った動機には、ある女性の音楽家がいて、この短編は「朝のうちに逃げ出した私」(『アフリカ』vol.16、『音を聴くひと』にも収録)の流れにある部分的なもの。いつか、そのひとの生涯を、小説の想像力で書き切ってみたいと願っています。

犬飼愛生「家出」、タイトルまわり

つづいて、犬飼さんの短いエッセイのシリーズ「相当なアソートassort」の3回目ですが、今回のタイトルは「家出」

ことの発端は前日だ。息子が私に小さな嘘をついた。しかもこの嘘は今月二回目。もうしないように、と釘を刺したはずだった。この嘘は私を非常に不快にした。夕方からなぜか体調も悪かったが、晩御飯作りの時間は迫ってくる。ここで家事を放棄すればよかったのだが、しぶしぶ晩御飯を作り始めた。

犬飼愛生「相当なアソートassort③「家出」」より

そこで家事を放棄されたら、このエッセイは消えてしまいそうなので、どうか放棄しないでほしいと思いながら読みます。両親と息子の3人家族、そのうち母である「私」が家出を決意します。初めてではないらしい。さあ、どんな展開になりますか…? と言っても見開き2ページ、あっという間に終わるんですけど、(長々と書くより)短くスパッと書く見事さがここでは感じられるはずです。

スズキヒロミ「その先の、今の詩集」、タイトルまわり

犬飼さんの話がつづきます。新詩集『手癖で愛すなよ』が、この夏、出ました。なので、それについても何か載せられないかと思いましたが、生憎私にはいま余裕がない。誰かに頼めないか…と考えていたところ、『アフリカ』の愛読者であり、いつもSNSで感想を詳しく書いてくれているスズキヒロミさんが思い浮かびました。

犬飼愛生『手癖で愛すなよ』(七月堂)

誰か文学者に声をかけて、犬飼愛生論を書いてもらうことも考えたのですが、『アフリカ』ではそれより市井の読者(?)による声を残したい、という気持ちが大きかった。スズキさんにお願いしてみたところ、快く引き受けてくれました。題して、「その先の、今の詩集──犬飼愛生『手癖で愛すなよ』を読む」です。

犬飼さんの詩を知ったのは『アフリカ』の誌上だった。たぶん「ニューソング(春のうた)」(二〇一八年四月号)だったと思う。一つの物語のようで、複数の物語が織り合わさってもいるようで、こんな短い文字数でそんなことができる「詩」って面白いなあ、とぼんやりと思った。

スズキヒロミ「その先の、今の詩集──犬飼愛生『手癖で愛すなよ』を読む」より

スズキさんはここで新詩集の印刷・製本にかんする話から始め、「あとがき」を読み、前の詩集からの流れにも触れ、『アフリカ』のバックナンバーに載っている犬飼さんのインタビューにも言及しつつ、『手癖で愛すなよ』を読み解いて…というより、あっちへ行ったりこっちへぶつかったりしながら読んで、書き進めてゆきます。

書くことによって、より深く読むことができる、と感じるところが私にはあります。今回はスズキさんが、その思いに応えてくれました。いろんなやりとりをしながら改稿されてゆく過程も、たいへん興味深いものです。

UNI「日記と小説」、最初の2ページ

今回はUNIさんの小説がありませんが、インタビューが載っています。「日記と小説──『たたかうひっこし』をめぐって」、聞き手は私です。

UNI『たたかうひっこし』(私家版)

UNIさんがはじめての単著を、私家版でつくった後なので、その話を中心に伺おうと思って始めましたが、そうやって問いかけてみてはじめて話せることがたくさんあるんですね。

格好いい話は何もないんですよ。ある日、病院に持っていくはずだった本を忘れたので、自分で書いてみたんです。

UNI「日記と小説──『たたかうひっこし』をめぐって」より

これはUNIさんが小説を書き始めた発端の話ですが、本を忘れたから自分で書いた、なんて、聞き手の私には起こりそうもないことなので、そこからさらに話はつらなってゆきます。
UNIさんがなぜ、どのようにして小説を書き始めたか、その先で、どのようにして『たたかうひっこし』が生まれたか、そのことを説明しようと、UNIさんはやがて自分の経歴(!)を話し始めます。
親しくなった人でも、会ったときに「あなたの経歴は?」なんて聞きません。就職面接じゃないんだから。でも、ここではその話に自然と流れてゆきました。
話は、UNIさんの幼少期から現在まで、断片的にではありますが、つながり、次第に大きな流れをつくってゆきます。

矢口文「夏草の勢い」のページ

道草の家のWSマガジン』からは今回、矢口文さんの素描を載せました。そのときの矢口さんの「ひとこと」を、ここに再録させてください。

がん闘病中の母。退院して自宅療養している。萎えた脚である日、庭に出て地面に横たわり、夏草生い茂る庭の景色を眺めて「ここは極楽か?」と言う。私は「そうだよ、極楽ってこんなところだよ」と言う。極楽ってピンクや水色の雲がたなびいているところではなくて、こんなふうに地面が日に照らされて、夏草が生い茂っているようなところだったらいいなと思う。

『道草の家のWSマガジン』2023年9月号より

その後、お母さんは亡くなって、この"極楽の庭"の絵はお棺に入れたのだそうです。なので原画は、亡くなったお母さんと共に空の上にあります。その絵をぜひ今回の『アフリカ』に載せたかった。でも、そのエピソードはあえて載せず、絵だけを収録しました。

なつめ「バウムクーヘン」、タイトルまわり

今回、ラストの作品は、なつめさんの「バウムクーヘン」。見開き2ページの掌編ですが、コンビニで初めて「バウムクーヘン」を購入したなつめさんが、それをどうやって食べたらよいのか、と考えている。それはどうやら、とても困難なことのようです。

丸い形で何層にもなっているバウムクーヘンを、買い物に行くたびに気になり出し、この中心に、もし今私がいるとしたら、私の周りを囲んでいるこのいくつもの層は何を意味しているのだろうと考え始めた。

なつめ「バウムクーヘン」より

このひとはとっても真面目に考えているんですけど、真面目に書けば書くほど、仄かな可笑しみがこみあげてきて、私はたまりません。何か未来を予感させるものを感じて、今回はこれを最後に置きました。

「執筆者など紹介」と「五里霧中ノート」

あと最後の3ページは、いつもの『アフリカ』のフォーマットに乗って進みます。

小さなお遊び、おふざけ? それも35回目です!

虚実入り乱れた「執筆者など紹介」(「など」がポイントだったりして?)と「五里霧中ノート」、そして最後は、「編集後記」です。

『アフリカ』2023年11月号、編集後記

いつも「編集後記」からまず読む! と言っている愛読者の皆さんには、今回はとても辛いものになってしまいました。でも、避けては通れないので、私も涙をこらえて書いたもの。でもこれを書くことによって、最後の最後で、重要なメッセージを受け取れたような気もします。なので、ただ悲嘆しているだけではありません。だって、どうしてこんなにも悲しいのかと言えば、「あなたと出会えて本当に良かった」という感謝の気持ちを抱いているからでしょう。なので、どうか、思い切って読んでください。

以上、いまは"日常を旅する雑誌"などと呼んでいる『アフリカ』の35号、アフリカキカクのウェブショップと、珈琲焙煎舎(府中市)を中心に、あちらこちらでゲリラ的(?)に販売中。

ぜひ読みたいという方へは、ウェブショップでご注文いただければ、すぐにお届けします。各地でたまたま出会って、読まれる方へも、ありがとうございます。

『アフリカ』の切り絵、全作品リスト

さて、今回は最後に、向谷陽子による『アフリカ』の切り絵の全作品リストを公開しておきましょう。

各作品には、あらかじめタイトルはつけられていませんでした。なので、2013年の「『アフリカ』の切り絵」展において作者がつけたタイトル以外は、編集人によって今回、つけられました。切り絵によって描かれたモチーフを説明しているものです。

 *

『アフリカ』の切り絵、全リスト
 向谷陽子・作

 注
 2023年11月号(vol.35)掲載 & 使用作品 ★
 未発表作品 ▼

2006年8月号
蝶 ★
ユリ
アサガオ ▼
キリンと三日月(試作) ▼
キリンと満月(試作) ▼

2007年3月号
月夜
雪の結晶

2007年10月号
無題 ★

2008年7月号
スニーカー
駆ける馬 ★
カモメ ★

2008年12月号(vol.5)
木 ★
手を繋ぐ ★

2009年3月増刊号
(なし)

2009年7月号(vol.7)
DNA/螺旋 ★
泳ぐ魚 ★

2009年12月号(vol.8)
黒い羽
白い羽
カブトムシ

2010年5月号(vol.9)
キリン ★
バラ ★

2010年11月号(vol.10)
蝶 ★

蝶の羽 ★

2011年5月号(vol.11)
シャツ ★
ガーベラ ★
ガーベラ(別バージョン) ▼
猫 ★
猫の影 a-1
猫の影 a-2 ▼
猫の影 b-1 ▼
猫の影 b-2 ▼

2011年10月号(vol.12)
トナカイ
彼岸花
トナカイのヴァリエーション

2011年12月号(vol.13)
クリスマス・リース
プレゼントの箱

2012年5月号(vol.14)
クワズイモ
銅ポット
ハートを描くゾウ ▼

2012年7月号(vol.15)
フラミンゴ ★
ヒマワリ
気球 ★

2012年9月号(vol.16)
馬 ★
雨傘

2012年11月号(vol.17)
フクロウ ★
メガネ ★

2013年1月号(vol.18)
ゾウ ★
トランペット ★

2013年5月号(vol.19)
ヨット ★

2013年7月号(vol.20)
ドア ★
もうひとつのドア ★

2013年10月号(vol.21)
自転車 ★
カボチャ

2014年1月号(vol.22)
リンゴ
手のり文鳥

2014年8月号(vol.23)
セイウチ ★
ご飯とお汁 ★

2015年1月号(vol.24)
カラス ★

2015年7月号(vol.25)
パイナップル ★
孔雀 ★

2016年8月号(vol.26)
親指ピアノ
タイサンボクの花
バオバブ

2017年6月号(vol.27)
アスパラ ★
ペンギン

2018年4月号(vol.28)
ダチョウ ★
スケート靴

2019年7月号(vol.29)
キャベツ ★
懐中時計

2020年2月号(vol.30)
さまざまな鍵
カワセミ

2020年11月号(vol.31)
猫 ★
サックス ★

2021年6月号(vol.32)
亀 ★
靴跡 ★

2022年2月号(vol.33)
カマキリ ★
手網

2023年3月号(vol.34)
羊 ★
灯台 ★

番外編
『寄港』第3号(2004年8月)
ヒマワリ ★

 *

もしかしたら、抜けているものや、間違えているものがあるかもしれません。気づいた方は、どうか遠慮なくお知らせください。

『アフリカ』が今後、どうなってゆくのか、いまはまだ、私にもわかりませんが、いつも、この1冊をつくろう、と言ってやってきました。きっとまた、未来は巡ってくるでしょう。それまで、また少しお待ちください。そして、お互いに元気で、共にその新しい未来を迎えられますように。

(つづく)

CM:今日も一日頑張った方、ゆっくり休んだ方、ダラダラしてしまった方、しんどかった方、楽しかった方、悲しいことがあった方、よく覚えてない方、私は何だろう、いろんな人の日々の暮らしの中にそっと置いて。話しかけてみて。#アフリカキカク の本です。

アフリカキカクのウェブショップ


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